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にしかたの昔語り

ー序文ー

 

ギャラリー

はじめに

  息子と娘たちはなぜ家を出たのか
 最近私の実家の近くでは、若い人が実家からそう遠くないところに家を建てて引越し、実家には老夫婦だけが住む家が増えました。さらに老夫婦がいなくなった後、空家になる家も増えてきました。なぜなのでしょう。その理由を聞くことができた時、大抵は「不便だから」という答えが返ってきます。除雪、交通、学校、医療機関等々。しかしこれらの諸施設は以前から地元の行政機関が前記の「不便さ」を解消すべく努力し、実際整備されてきたはずです。私が小さい頃と比べて道路の除雪も行き届くようになりましたし、日曜日も病院で診察が受けられるようになりました。それなのになぜ整備された地元の設備は利用されず、また昔より住みやすくなった地元を離れてしまう人が多くなってしまったのでしょうか。

 個人の行動半径が拡大した
 西澤信雄著「みちのく朝日連峰山だより」(山と渓谷社、1983年)という本の中に興味深い一節があります。
 「・・・道路が発達し、車が通うようになってから、「近さ」の基準は距離から時間に変わったのです。歩いていた当時は山を越えてでも近い距離の場所を選びました。しかしいまは車で行くので、道のいい場所に人々は向かうのです.少々高くても、快適に早く行けるほうがいいのです。・・・(49ページ)」
 この文章は地方における時代の流れの一つを良く言い当てていると思います。現在、個人の行動範囲は数十年前と比べて大きく広がりました。山形を例にとると、自動車で隣町までなら十数分、地域の中核市街地にも30〜40分で行かれます。隣接する宮城県の仙台に日帰りで往復することも珍しくなくなりました。東京にも新幹線で日帰り可能です。そして田舎の村にバイパスが開通し、近くに高速道路のインターチェンジができた結果、住民たちは−たぶん初めは単なる好奇心から−便利になった道路を利用してより都会的な場所に行くようになりました。山形でいえば、静かな農村からは郊外の大型ショッピングセンターへ、市町村の中心地域に住む人は県の中心地山形へ、山形の人は仙台に、という具合に。そして、例えば東京ディズニーランドに遊びに行った人は、本場の魅力に感動するとともに、地元のテーマパークと比べてやはり本場はすごいな、と感じます。これは公共施設や商店等でも同じです。このため地元の自治体が一生懸命用意した諸施設はそれで必要十分なのにもかかわらず利用されず、地元の人は便利になった交通機関を利用してより財政力のある町の「立派な」施設を利用しにいく傾向になったのだと思います。そして結果的になんとなく田舎は都会と比べてすべてのものが劣っている、という意識が染みこんでしまったのではないかと思います。

 個人に直接情報が届くようになった
 従来情報というものは公共的な報道機関を通して一斉にかつ一方的に情報が伝えられるシステムであったと思います。しかし現在、各種情報端末とインターネットを使用すれば、年齢や地位や住む場所に関係なくその人が求める最新かつ多種多様で膨大な情報がその人に直接伝わるようになりました。また各個人が直接外部世界に情報を発信し、情報を受信することも容易にできるようにもなりました。もはや現在田舎と都会で得られる情報に差はないと思います。そして個人の得られる情報が多種多様化したことにより、田舎でも都会でも個人の持つ価値観は多種多様化していると思います。昔の村社会は都会でも田舎でも地域のしきたりや伝統といったものである程度価値観が統一されていた社会だったと思いますが、現在は都会でも田舎でも個人の持つ価値観が多様化し、価値観が一致する地区を求めて移動する人が増えた結果、価値観がより多い都市部に田舎から移住する人が増えているのだと思います。

 情報源が多岐にわたるようになった
 現在は個人が多岐にわたる情報源から直接情報を得る事が可能となっており、新聞記事やテレビ放送を見た後で同じ話題をインターネットで検索すれば正反対の情報がたくさん流れています。このため、一つの報道内容をみんなが信じるという状況は起きにくくなっています。そういった状況は昔からもあることなのでしょうが、現在はその状況ががより進んでおり、選挙や国民投票の結果が報道会社の世論調査や報道と一致しない事態も多くなりました。だから、仮に地域をよりよくするための素晴らしい提案が生まれたとしても、いろいろな実例や意見が出すぎてかえって意志統一して実行するのが難しい状態になっていると思います。しかしながら、いくら素晴らしい提案であっても結局はやってみなければうまくいくかどうかはわかりません。多種多様な情報に左右されて実行する前に実行できなくなってしまう事例は案外多いのではないでしょうか。

 ハードウェアよりフソトウェアの方が重視されるようになった
 現在は携帯端末から自動車、家にいたるまで、物を更新するときは外観の変化よりはどのような新機能を備えているか、ということが重視されます。ですから作る方も使う方もハードウェア(使うものの物理的な質や高級感、以下同じ)は安く作ることを追求し、優れたソフトウェア(使うもののもつ機能、以下同じ)を開発して導入することを重視するようになってきていると思います。だから現在は物理的な修理するよりは買い換えた方が安い製品が主流です。こういった時代の流れにより、従来の日本的な商売である、お得意さんと長くつきあっていいものを長く使う、という商法が成り立たなくなりつつあります。機能的なものをさらに新しい優れた機能を持つものができるまで使い捨て感覚で使う、これはこれで合理的な考えだと思いますが、一方で修理せず買い換えするという使い方は大量の廃棄物を生み、また安かろう悪かろうというのも事実だと思います。

 メンテナンス感覚の欠如
 また使い捨てが主流の使い方をするためメンテナンスするという感覚を失ってしまい、購入した物は修理せず買い換えることが主流になりました。その結果、基本的機能には変化がないものを何回も買い替えるようになってはいないでしょうか。さらに、安く買って新しいものが出たら買い替えるという物の使い方に慣れてしまった結果、ハードウェアとしては優れたものなのにソフトウェアとしては古くなってしまったという理由で、修理可能な物が放置され、やがて廃棄されてしまうことが多いと思います。地方には建造物から生活用具にいたるまで過去に作られた貴重な文化遺産がまだたくさん眠っていますが、これらの貴重な過去の遺産が、使い捨てに慣れた、その価値を見抜く力のない人たちによって廃棄され、使い捨てのものに置き換えられているのが現実ではないでしょうか。その結果地方の魅力はますます薄れて行ってしまうのではないでしょうか。

 家の機能が変化した
 現在、子が実家のある田舎を離れて、親と別居して実家から車でそう遠くない「便利な」場所に自分の家を建てる例が増えています。その背景には家というものに対する考え方の変化があると思います。昔の家は全世代同居が前提で、子育ての場であり、結婚式場であり、セレモニーホールでもありました。現在の家のもつ機能はアパートとほぼ同じで、親子が食事をして寝る機能だけに絞られています。これは家族観の変化が一番の原因であると思いますが、冠婚葬祭を家の外で行えるようになったことも原因だと思います。昔の家では冠婚葬祭は全部自分の家でできますが、その労力は大変なもので世帯家族総出、かつご近所総出となります。ただしお金はあまりかかりません。それがまず冠婚の部分がほぼ外業化し、現在は葬祭の部分も外業化しつつあり、現在では機能を絞った家でも十分となりました。冠婚葬祭で何かあっても業者さんにお願いすれば自宅では大きな行事はしなくてもよくなっています。このため、住む場所を冠婚葬祭と関連づけることなく自由に選べるようになったため、「不便な」実家を離れて「便利な」場所に自分の家を建てる人が増えているのだと思います。
 しかし時間的な距離が縮まったとしても、隣の部屋に行くような感覚で自分の家と実家を行き来できるわけではありません。また現実的に移動には車が不可欠です。このため親が年老いて自活できなくなったとき、子が親の面倒を見に実家に帰るか、あるいは親を自分の家に引き取るか、という選択肢を迫られることになりますが、自分の家はローン返済中、家に親を受け入れるスペースもないなどの理由で、結果的に親が施設に入所し、空き家となった家は取壊すか取壊し費用がなく放置されることになりました。

 家業が衰退した
 現段階では地方における主要産業は農業であるといっていいと思いますので農業を例に挙げますが、専業・兼業を問わず収益をあげられる農家は少ない状態です。その主な原因としては農家一戸当たりの農地の絶対的な面積が狭いこと、諸事情から人間の労働力が確保ができなくなったため機械力に依存する割合が高くなり、機械を購入し維持するための費用が収益を圧迫していること、といった点もあげられると思います。以上のような現実から今後農業ではやっていけないと考えて後継者の育成を放棄する経営者が増えました。これにより農業後継者は農業を職業とせず地元以外の職場に生活の糧を求めることとなり、さらにその結果生活の糧を得られる職場の近くに生活の根拠地を移す人が増え、この結果現在の農業従事者が農業を継続できなくなった後は農地として利用されなくなる可能性が高い農地が増えてきています。少数の専業農家は売れ筋の複数の作物を生産するなどして経営努力を続けていますが、資金力などの問題もあって経営拡大が困難な状況です。商店や工場も事情は同じだと思います。

 都会は永遠に繁栄するのか
 ではひるがえって都会というところは永遠に栄える所なのでしょうか?世界最大級の都会である東京を例に挙げてみます。根拠はなく、実際に住んでみた者の主観的な意見ですが、東京の永住人口は人口の半分くらいで、残りの半分は地方から一時的に東京にやってきて、やがては東京から出ていく人たちであると思います。毎年、いや毎日多くの人が東京に入ってきて、多くの人が東京から出ていきます。そして実はこれら外部から来ている人たちが東京のインフラストラクチャーを動かし都市機能を維持する大きな力となっていると思います。しかし少子高齢化は東京でも進んでおり、また地方の少子高齢化は都会以上の速度で進んでいる事を考えれば、近い将来、東京から出ていく人の数を地方人口では補えなくなり、現在東京にある多数の公共施設や産業を維持するための人員が不足するときが来ると思われます。そして人員不足を回避するには最終的には人員を海外から求めるほかなくなるでしょう。その結果として東京は将来現在よりもっと多文化・多国籍の町となり、多種多様な文化、宗教などの価値観が流れ込むことになると思います。言い方は難しいのですが、将来東京は今より住みづらい街になるのではないでしょうか。
 一方で交通と情報の発達は地方の農村にも実質的に都会と変わらない生活をもたらしました。農村の人たちは便利になった道路を使って毎日町に買い物に出かけているし、若い人たちが新幹線で東京に遊びに行ってくる、ということは珍しいことではありません。また、大学進学や就職などで一定期間都会に住んでから田舎に帰ってくる人も増えてきました。そういった人たちの中には、確かに東京にしかない物や場所というものはあるければも、東京というところは一部の有名スポットを除けば、日常生活において田舎となんら変わらないと感じている人もきっといると思います。むしろ東京とは、どこの駅前にも同じような商店街とビルが連続する、30p間隔で5000万円のウサギ小屋が密集する住宅地がどこまでも続く町で、自分の故郷のほうが住むには快適なところなのではないか、と思っている人がきっといると思うのです。私はそういう都会の感覚を持った地方在住人の人たちが今後の地方を担う人たちであると思います。もう無理をして都会を目指す必要はない時代になったのではないでしょうか。

 じゃあどうすればよいだろう
 昔、ある講習会で講師の人がいった言葉です。「今の世の中はなっちょらんといってはいけない。なぜならあなたもその世の中を悪くした一人だからだ。」至言であると思います。今聞こえるのは人口減少、少子高齢化といった悲観的な声ばかりですが、現在の村の姿を作ったのは今村に残ってがんばっている若者たちではないと思います。
 では具体的に何をすればよいのでしょう?私は大上段に振りかぶるような政策を考えられる立場にはありませんが、日常を観察して、こういったことを変えていけば連鎖反応的に地域が魅力を取り戻し、人が出ていかなくなり、あわよくば住む人が増える地域になるのではないか、と思っていることがありますので、いくつか提案してみたいと思います。

 近くの施設を便利にする
 便利にするといっても新しい施設を開発するのではありません。町の中心市街商店街を歩いてみて気づくのですが、日中人の少ない時間帯に客がいないのに店が開いていて、夕方の通勤時間帯になると閉店している店舗が多いと思います。夕方閉店している店の前のバス停でバスを待ちながら「今開いていれば結構人が入るのではないかな」と思います。営業時間に縛りがあるのであれば、ヨーロッパのシェスタのように、昼食後の数時間一旦閉店して休憩をとり、夕方から宵の入りまで営業してはどうでしょうか。夕方の通勤帰宅時間帯のように客が来やすい時間帯にお店を開けるようにしてみてはどうでしょうか。
 また公園をフリーマーケットにして、楽市楽座条例?を作り、公園をかねた市場のようなものを整備して誰でも出店できるようにして、そこに出店する事業者の税金を免除する、といった事はできないでしょうか?公共的な公園であれば駐車場も整備されている事が多いはずです。家族連れで車でやってきて子供の散歩も兼ねながら買い物をすることができれば買い物に来る人はいると思います。名物店のようなものが現れれば地元以外の集客も期待できると思います。

 家業を復活させるには
 戦後の農地解放から約70年が過ぎた今の農業の現状からすると、農地解放は結果的に失敗したといえるのではないでしょうか。当時自分の土地を持った個人が自分の田畑を元手に経営を広げていく、あるいは個人が自分の食を確保したうえで社会貢献や文化の創造に挑戦する、といった現象はほとんどみられませんでした。国や自治体が行った土地改良は個人所有の土地を価格が同じになるように割り当ててまとめただけで土地改良後の農地面積が増えたわけではありません。この結果は最初に述べたように小さな農地が各個放棄されていこうとしている現実となっております。現在一番大事なことは農地を減らさないことではないでしょうか。現在のやり方では衰退していくと予想されるのであれば、農業も産業の中の一つと割り切って、各種の優遇政策とともに課せられた各種の制約を撤廃して農家が事業主あるいは法人として発展できる機会を与えることも一つの方法ではないでしょうか。

 個人に直接情報が届くようになった。けれどネットで物は触れない
 今は地方の部屋から例えば東京秋葉原の街角の様子をグーグルのテレビカメラで見ることができます。でもテレビカメラに写るものに手を触れることはできません。またインターネットで買い物をする時も、最終的には宅配便の箱を開けるまでは購入した商品がどのようなものなのかはわかりません。結局情報とは現物に人を引き寄せる手段にすぎません。そして情報と現物を結びつけるのは物流だと思いますが、現在は道路事情の発達等により物流面で都会と地方の差はそれほど感じません。では上記でいうところの現物についてはどうでしょう。誰でも一度はインターネットで買い物をして届いた現物にがっかりした経験をお持ちだと思います。私の地元にはサクランボや米、天然ものの山菜にジュンサイ、といった地元の名品が沢山ありますが、これらの産物は送った先をがっかりさせることはないと言い切ることができます。残る問題は情報の発信力であり、この点が大きく遅れているため、地方の魅力についても都会側の視点から見た情報ばかりが多く発信され、地方の視点から発信される情報が少ない状態にあり、これは地方にとって大変不利なことだと思います。この状態を解消するには、個人が自分の作る名産品を日本、いや世界に簡単に発信できるように、県や市町村のホームページの中に楽天やヤフーオークションのような個人が自由に出店できるフリーマーケットを設けてみてはどうでしょうか?地方側からも多くの情報が発信できる場を設けてほしいと思います。

 都会にはない古いハードウェアを活用する新しいソフトウェアを開発する
 これは私の経験からだとしか申し上げられませんが、観光資源になる価値のあるすぐれたものの条件としては以下の3点があげられると思います。大きいこと(規模としてでも時間的なものとしてでも)、オリジナルであること、学術的であること、の3点です。
 例としてあげれば、山形県内には太い柱で組み立てられた古民家がたくさん残っています。他にも江戸時代や明治時代のはじめに立てられた由緒ある神社仏閣や古民家が身近に残っています。都会では上記のような古い文化遺産は先の戦争で多くが灰塵に帰して残っていません。地方に来なければ見られないものです。また地方には都会では忘れ去られた古くからの生活習慣や伝統行事もたくさん残っています。それらの形として残っているものを、今の考え方では使えないから壊してしまうのではなく、新たな使用方法を考えてそれらの物が持つ歴史的・文化的な価値を引き出して観光資源等とすることは十分可能だと思います。すべて古いものがよいとはいいませんが、数百年の伝統を持ち独自性にあふれた学術的にも貴重な建築物や伝統芸能・行事はもっと外部世界にアピールして活用すべきだと思います。こういった古民家などの身近にある文化財を見いだし、保護し、かつ維持するために、行政が金銭的な優遇措置や補助金を出すかわりに古民家の持ち主は建築物を公開し建て替えをせずに保存に協力する、あるいは伝統芸能に対して補助金を出す代わりに、伝統芸能の保存会は町のイベントに協力する、というような措置をとることはできないものでしょうか?

 都会に地方の余裕と安定を売り込む
 都会から若い人を呼び込むのではなく高齢者を呼び込んでみてはどうでしょうか。やはり若者は都会で暮らしたいと思う人の方が多数派だと思います。若い人を地方に呼び込むよりは、都会に住む元気な高齢者に対して田舎の空き家、特に古民家に住みたい人を募集し、地域の人とお茶のみ友達となってもらい、時がたって介護が必要となった場合には地元に住む若い人が年寄りの面倒を見ることを仕事にする、ということはできないでしょうか。お年寄りを食い物にするのか、と怒られそうですが、今の都会は住みずらいと感じているお年寄りはいると思いますし、ギブアンドテイクと割り切って都会の人には環境の静かな安住の地を、地方の若者には介護の職を得られるようにしてはどうでしょうか。

 永住にこだわらない
 田舎暮らしに憧れてきたけれども、現実に疲れて都会に戻った、あるいは地区の中に都会から来た人だけのコロニーができてしまった、という話を聞くことがあります。理由はさまざまなのでしょうが、都会と比べて静かだが何もない田舎の家に価値観の異なる都会の人が引っ越ししてきたら、無用なトラブルが発生することはある程度仕方がないことだとも思います。上記のようなトラブルを起こさないためには入念な準備が必要で失敗もあるとは思いますが、そういったことを防ぐ意味で、地域の良さを実際に体験する制度を整備してみてはどうでしょうか。
 まず、バカンス休暇法のような法律を作って企業に労働者に2〜3週間程度のバカンス休暇を与える義務を負わせ、都会で働く人がバカンスで田舎に長期間滞在して田舎の良さをゆっくりと体験できるようにすれば、田舎に住みたいと思う人も増えるのではないでしょうか。
 また、一歩進んで免税特典などをつけて一定期間住んでみる体験移住制度を設けてみてはどうでしょうか。制度の悪用や思わぬトラブルも発生するのでしょうが、都会の人だってほとんどの人は普通の人だと思いますし、田舎の良さを分かって定住する方はきっといると思います。

 価格と価値ー結局は人の意識?
 かつて都会育ちの知人と東京都庁のビルに登ったとき、知人は自慢そうに「田舎の友達は地元の山の方が高くてすばらしいと言ってるんだよ〜」と言いました。もちろん都庁ビルの方が高くて立派だと言いたかったのです。私は内心田舎の友達の意見の方に賛成だったのですが、お人好しだったので、「そうだねー」と言ってお茶を濁してしまいました。田舎の人はみんなこんな感じだ、とはいいませんが、田舎の人は田舎の良いところをアピールするのが苦手で、むしろ田舎のもつ良い部分まで自己否定する傾向があり、それが田舎の価値観にあこがれ、あるいは都会の価値観に疲れて都会を離れて田舎に住みたくなった都会の人が田舎に住もうとするのを妨げる結果となっていないでしょうか。過疎に悩む前に、地方が地方に来る人を拒否してはいないでしょうか。都市に住む人の価値観の多くは価格を基本にしています。都会のものと地方のものとを比べて、その基準を価格に置けば、仕事の基本給から始まって、土地の値段や物価に至るまで、地方は都会にかないません。しかし価値というものを基準にして考えれば、今まで延べてきたような、田舎にあって都会にない立派な価値のあるものはたくさんあると思います。そういった価値あるものを活かして、地方は都市に対して決して劣るものではないという意識を持つことが地方を活性化する基本的な力となるのではないでしょうか。

 将来への責任は
 最近心に残ったよく聞く言葉が四つあります。「そんなことできるわけない」「そんなことをする金はないだろう」「もし何か事故が起きたらどうするんだ?」そして最後に「自分はあと20年経ったら関係ないからなー(笑)(解釈はおまかせします)」です。
 何か新しいことをやろうとして最初の3つの意見・質問を乗り越えられる人は−特に若い人は−どのくらいいるでしょうか。田舎に帰ってやってみたいことがある、という意欲のある人が、こんな事をやってみたいと言い出したとして、まず最初から「できっこない」「いや、こうすればいいんでないですか?」「お金はどうすんの」「こうやってなるべくお金をかけないでやれるようにします」「じゃあ何か事故があったら責任とってくれるの?」「・・・」「どうせ私はあと〜ハハハ・・・」どう思われますか?
 最近テレビで時々夢を持った人がその夢をかなえるために奮闘する番組を放送することがあります。中にはわずかな時間の時間切れやわずかにお金が足りなかったりして挫折する人もいます。確かにそれも現実なのでしょうが、テレビ番組と違って人生がすべて一発勝負で一度失敗すればもう永久に夢がかなえられなくなるわけではありません。何度も何度も失敗して最終的に成功する人もいます。しかし最後まで失敗する人もいます。でも何回やればうまくいくかなんてやる前からはわかりません。最初の四つの言葉は自分が生きている間現状が維持されていれば満足、という考え方に聞こえます。将来に対する責任を考えずに過疎化対策とか若者の定住とかを考えることはできないと思います。お金がなかったら智恵を使う、少なくとも、やれるだけやった、という気概を持ちたいと思っています。

 序にかえて
 お金は大事ですが、収支決算を合わせるだけでは後には何も残りません。今、地方には、将来に残す価値があるものに投資しその価値を活かして収益を上げる工夫が求められていると思います。このホームページは、地方における、どこに対しても自慢できる、将来に残す価値があるものを見いだして紹介することにより、地域に住む人が自らを卑下することなく、地方が失った自信をもう一度取り戻すための一助となることを願って作製しています。今後も調査を続けていき、紹介していきますので、興味のある方はどうぞ時々ご覧になってみてください。
                                                              管理人敬白