にしかたの昔語り
湯野沢の年中行事
自分が小さいころを振り返ってみると、 村の中では近所の人たちがときどき神社やお堂や当番の家に集まっては結構いろいろな行事を行っていたような覚えがあります。子供の目には「いったいなにやってんだや〜遊ばんないどれや〜」というくらいにしか思っていませんでした。以下に紹介する行事は今では行われなくなった行事が多いと思いますが、少しずつ復活していってくれればいいな、と思います。行事の中には一部どのような行事なのか不明な行事があります。今後はわかる部分だけ今後紹介していきます。もしこれらの行事の中で知っている行事がある方は投書箱を通してご教授下さい。
(日付は[新]がついているもの以外は全て旧暦、[現]は現在は新暦で行っている行事。)
1月
正月のタブー
本来、湯野沢では元旦に餅をつきません。大晦日に正月行事を始めたときから正月三が日までは決して音を立ててはならないといわれていました。ゆえにこの期間中に薪を割ったり餅をつくという行為はタブーとされていました。ただし餅搗きは元旦の早朝もしたようです。また正月三が日は選択と灰を出すことを忌みました。あく−悪をださないように、という意味合いです。
床の間飾り(大晦日に準備します。)・お供え餅・門松
床の間に天照大神(または七福神)・天皇皇后両陛下の巾物をかけます。そして床の間に2段または3段の鏡餅を備え、ゆずり葉・海老・みかんまたは柿を備えます。そして朝に祝い餅を食べ、お神酒をいただきます。他のお供え餅を置く場所は神前・仏前・お釜・いろり端・井戸・流しの端・米びつ・トイレ・戸棚・農具。
湯野沢の門松は松を3本雪中に立てるだけのシンプルなもので、しかも裕福な家だけ行っていました。
しめ縄は「はっちょう注連」といって神前に幣7枚、狭い神前には5枚または3枚の幣を下げます。また前垂注連というのはわらをまばらにしたものを注連の間にはさみます。また輪注連というのは藁を輪にして余った藁を下に下げてそれに紙幣を1枚または3枚添え、輪の中央にゆずり葉や炭をはさむか結びつけます。輪注連は門口か床柱にかけます。
元旦 [現]神参り 正月迎え 若水汲み・年越し祭 元旦祭
夜明かし
除夜から元旦にかけては徹夜をし年を護ります。大人は各自の家で、子供は一定の仕事場で藁仕事をします。この晩の仕事で得た収入は正月の小遣い銭となります。
神詣で
早朝丑の刻(2〜3)時頃、仕事を止めて鎮守の神様に詣でます。
朝風呂に入り身を清めます。次に若水を汲み臼を倒して豊作占いをします(下参照)。
若水とり(湯野沢の年中行事では15日にものっています)
元旦から3日までの毎日朝早く、家の男性(若衆や若い男)か年男(節分に豆を撒く人)が主婦の目覚めぬうちに近くの川より手桶に水を汲んできておきます。これは川の神様が婦女子の顔を見ることを嫌うためで、この期間は川端に出て水仕事をしてはいけないとされていました。水の汲みかたは、歳の市で買った新品の手桶または曲がり杓を使い、太陽の昇る方角に向かって「黄金の杓で福を汲み汲み」と三回となえ次に家ごとの川端に立ち同じく「黄金の杓で福を汲み汲み」と三回となえます。この水を若水といいます。
座敷掃
朝若水を汲んだ後に座敷を掃きます。その際は周囲から真ん中に塵を集め、「あら玉の 年のはじめの箒をとりて萬の宝掃くぞ集める」と唱えます。
豊作占い
次に若水で豊作占いを行います。一升枡に米を一杯入れ、枡の四つ角に暮れについた餅を載せます。さらに中央には24文の銭を載せます。餅をつき終わった臼をこの枡の上からかぶせ、臼の上に若水を組んだ手桶を載せます。升の下には藁を敷きます。手桶の手には炭とゆずり葉を水引で結びつけます。臼の周囲には豆殻を置きます。置き場所は清掃した庭の隅に置きます。そしてて拝礼します。拝礼は3日間続けます。
そして3日の正午ころ、ドジョウをつかまえ、つかまえてきた人が大黒様にドジョウを上げて参拝してから枡の上の餅を取ります。餅は朝若水を汲んだ人がもらいます。そして餅についた米の付き具合によって今年の豊作を占いました。
残りの若水は恵比寿様に供え、家人もいただきます。またその日の夕方のご飯を炊きます。炊事したご飯や汁物を食べ、身を清めたといわれています。
元旦の夜明け前、臼の周囲に置いた豆殻を付け火にして炉で豆幹を焼きその音で起床します。その後鎮守の神様に参拝し、氏神様・祖先の霊を拝して一年の幸福を祈願します。
元日は「寝正月」で、仕事は休み、承認は門戸を立て農民は昼食をとりませんでした。
2日 仕事はじめ 謡いはじめ
仕事のし始め、初商い
この日から藁仕事をします。元旦の商いは御神酒や餅などの必要なものだけを販売します。初商いの際は景品を付けます。そして祝いの宴をします。なお湯野沢では屠蘇は用いません。祝いの宴の料理はは三品で三献を汲みます。商品は割引し、くじ引きも行われます。売上金は翌3日に親類や近所の子供に分け与えます。
初荷は荷車、馬車、橇で初荷の小旗をさして荷主の家まで運びます。帰りに酔っぱらった男性を「ハレのお客様」といって空車に乗せて運ぶこともあります。
農家は午前中だけ仕事をし俵やたらばしを編みます。荷繩ないをする場合もあります。女子は草履を編みます。
謡初め
家の主人または長男が謡を出して和みます。今でいうのど自慢みたいなものです。
書き初め
文人、子供はこの日書き初めをします。
初夢
2日晩から3日朝にかけての夢です。通常の日は「夢逆さ」といって吉夢はよくないとされていますが、この日は吉夢は福とされています。富士、鷹、茄子、宝船の夢がよいとされています。ただし初夢は15日に見る夢のほうがよいとされ、その晩に宝船を紙で折って枕の下に敷いて寝ます。また廻文といって「長き夜の とおのねぶりのみなめざめ 波乗り船の 音のよきかな」と書いて唱えながら寝るとよい夢が見られるといいます。また初夢は人に語ってはならないとされ、人に語ってしまうと語ってやった相手に福をとられてしまうといわれています。
3日 参賀日 三朝参り終わり 豊作占い結果確認
4日 年始まわり 初正月
正月礼
嫁方の家に正月礼に行き、先祖の霊をお参りします。
5日 ゆうかい日
6日 ひょうを食べる日
7日 七草 納豆汁 鏡開き 嫁帰り
下男・下女の休日。
年の初めの節句
七草−大根・人参・牛蒡・蕪・菁菜(かぶらな)・芹・葱を食べる。食べ方はけんちん汁にしたり、つれごま油炒め(千切りにして油で炒り、くずし豆腐を加え酒・醤油で味付け湯葉で巻き油で揚げる)、汁巻繊汁(豆腐をくずして油で炒め、つき牛蒡・麻の実を加えたものを実とした澄まし汁)に塩引き鮭を添えて当時は貴重であった白米を食べました。
10日 婿帰り
11日 稼ぎはじめ(稼ぎそめ)・荷繩ない 蔵開き 肥やし撒き
荷繩ない
この日初めて荷繩をないます。朝に正月に供えた餅をを祝い餅(力餅)として食べます。
12日 谷地初市 ほんまつ稼ぎ だんごさし、初市、成る木責め
年祝いの人のいる家ではだんご木を下げ、成る木責めの行事を行います。
だんご木に花菓子(もなかのようなものだが中にあんこは入っていない。瓢箪や七福神の形をしている。他にさまざまな形をしたものがある。)や折り紙をつけ、木の根元には鏡餅を下げます。縄にぶら下がるように下げ、その形が財布に似ていることから「巾着餅」と呼びます。この行事は女18歳、男25歳、女33歳、男42歳の厄年、年祝いにあたった人の家で行われます。
14日 団子さし 成木責め
小正月
1月14日を「後の正月」といって餅をついて、1月15日にその餅をあぶり餅にして食べます。1月15日は昔「大祭日」といわれていました。そして16日に熊野神社から初めて村中の神社にお参り(神まいり)をしました。
15日 神参り 小正月 カセドリ(餅貰い) 豆がら焚き 夜明かし 若水汲み 田植え 祝い祝い(お柴灯) 焙り餅 田楽[新] 岩野有明 コッピキ お八幡様神下し 作占い 天気占い
ケッツたたき
1月15日の夜にはセンツ(トイレ・便所)に入ってはならないといわれており、夜トイレに行くとケッツ(尻)をたたかれたり、センツの神様から赤ん坊を預けられて、手に預けられた赤ん坊は見る見るうちに成長して重くなりつぶされてしまうといわれています。(T翁さん談)
作試しの行事
雪上に肥料を撒き、大豆殻、藁で田植えのまねをします。そして門松を家の門の前で燃やし「祝い祝いの作の祝い」と唱え豊作を祈ります。
だんご木
15日に家にだんご木を飾ります。だんご木には鮒せんべいと巾着餅を下げ、家の中央の長押に飾ります。その後神棚と恵比寿様に「まゆ玉団子」を供えます。
鳥追い
夜、三々五々集まった子供たちが変装して覆面を被り、隊列を組んで 「田の草取り内手伝いに来ました。」「明の方から福大黒千両箱がまいった。」などと唱えて(これを「鳥追いといいます。)家々を廻り、餅をもらう行事。その際子供たちは芸をして見せたりします。
16日 大賽日 藪入り すずめぽい(鳥占い) 謡はじめ
19日 春日様
20日 二十日正月 お福田 へそびつけ けっつタタキ 福取り餅 花納め(団子木おろし)団子木焚き
正月休みはこの日までです。
24日 地蔵講
25日 [現]神参り(初天神)寒行まわる
正月中に行う行事
神おろし
「おなかま」をつれてきてお八幡様境内に集まります。「おなかま」が弓弦を使って熊野・天神・八幡・稲荷と村内の神々を次々と呼び、神が「おなかま」に乗り移ると狂い、身を震わせ飛び回り、一つ一つ神のお告げがある、という行事でした。
2月
1日 [現]お日待ち講(大久保北口)
3日 [現]櫛分豆撒き 神参り
節分・豆まき
7日
吉田青竜寺にて大般若会が行われます。
8日 百万辺(数珠回し) 年祝花納め(団子木おろし) トロロ撒き 【現】神参り
とろろまき
1月15日の晩に疫病神が山からおりてきて、不潔な家を調べていったん山に帰っていきます。そして2月8日に再び山からおりてきます。その後疫病神は10月8日の「戸だて」という日まで里にいて、調べておいた家に忍び込み、疫病にかからせるといわれています。このため2月8日、家では疫病神の侵入を防ぐため、朝に赤飯を炊きとろろ汁を作ります。そして付け木一枚に赤飯のにぎり飯を2個(家族の人数分のところもあります。)・とろろ汁・炭・南蛮(赤唐がらし)を門口に供えます。付け木の代わりに桑、水木などの木の枝に藁で編んだ籠(つと、という。)にとろろ汁・炭・南蛮(赤唐がらし)を入れる場合もあります。またとろろ汁だけを戸口や橋などに撒きます。他に団子を作って川端にさすところもあります。お供え物は後日川に流します。
またこの日は禅成道の日?(この語については現在調べています。)で、百万遍念仏が行われます。現在は近い日の休日に行われているようです。念仏の後各戸入口にお札を貼り家内安全を願います。
10日 けかち団子
けかち団子
けかち(不作・飢饉)にあわないように、この日庭から(特に藁ぶち石付近から)米を拾い(3粒でよい)、これで粉を作って団子にして食べる行事です。
15日 おくまんさま花納め【現】神参り
花納め
年祝いの人がいる家ではこの日にだんご木を下ろします。20日に下ろすところもあります。付けた団子はそのまま煎って食べます。巾着餅は2月の己の日に食べます。
繭掻き
この日に繭玉を下ろします。しまっておいてお田植え式当日の用に供します。
豊作祝い
1月15日から一カ月続いてきた行事はこの日で終わり、豊作の前祝いをします。
初午の日 稲荷様 マンガ餅 谷地神楽来る
初午
2月最初の午の日、馬の品定めをしたり馬に乗って田んぼを廻る日とされています。また稲荷様の例祭日とされています。
マンガの餅
1月14日について丸め餅にして、苞(苴、つと)に入れて馬小屋の入口に下げておいた餅をこの日に炙って馬に食べさせる日です。他の餅は男だけが食べ、近所の家や親戚にも配ります。
16日 お曼陀羅 お釈迦のハッス(団子) 大般若
お釈迦団子
2月16日はお釈迦様が入滅した日(涅槃日)で、お寺では涅槃像を掲げて法会を行います。家々では団子を作ってお釈迦様に供え、お寺にもお供えします。実際には団子の代わりに白米を納める家が多いようです。お寺では別に団子を作ってお参りに来た人にあげます。もらった団子は着物の襟に入れておくと山に行っても蛇の災難に遭わないといわれています。
山の神(神参り)
この日は山の神が山から下ってお田の神となる日とされています。この日山に行くと山の神に出会う恐れがあるため、木こり−湯野沢ではコビキという−や炭焼きの人々は恐れて山に入らず、一般の人も山に入ることは禁じられています。特に女性は絶対山に入ってはならない日とされています。また山の神は山の入口の向かって右側に祀られ、左側にはお福田を祀るのが通例です。このため通常の日でも山神様の目をつっつかないように柴の木を左にして背負ってはならないとされています。
朔日・8・14日の鹿の悪日
3月
3日 節句まつ 谷地節句まず
雛節句
お雛さまには饅頭、菱菓子、ところてん、くじら餅、ゆべし、魚、干し魚、甘酒、寿司、桃酒を供えました。
12日 神参り 山の神
17日 岩木観音釜鳴り神事
21日 [新]春の彼岸
23日 おくまんさまの日彼岸の中日 彼岸の中日
山に入ってはならない日
この日と神無月(10月)の3日、13日、23日は山に入っていけない日とされています。
25日 お天神さまの例祭3日
4月
8日 お釈迦様の誕生 甘茶花祭り
17日 高い山(北山ぼた餅) 運開き
25日 [新]お天神様の例祭
5月
5日 マンガツルシ(田植え餅?)−代掻き悪し 鯉のぼり節句 菖蒲・蓬挿し
端午の節句
幟旗を立て笹巻、鉈巻を食べました。
下旬 さなぶり ふの葉とり
6月
1日 むげの朔日 歯固め餅(スミ餅) シオデの耳つづぎ 新ごしょ芋 葉山苗代祭 虫送り やんまいぼい 水神講−南?????−
さく祭(朔祭?作祭?)、歯固め餅
正月についた餅を寒中に「凍み餅」にして6月1日に食べると歯が丈夫になるといわれています。
しおでの耳つつき
また、この日に「しおで」をお膳の上に載せて食事の前に耳をつつき「いい耳をきかけてけらっしゃい。」といいます。
2日 代掻き
丑の日 土用丑の日 八つ目鰻 ドジョウ
14日 牛頭天皇祭 胡瓜祭り
23日 おくまん様春の例祭
30日
水無月大祓
この日全国の神社では大祓詞を唱えて茅で編んだ輪をくぐって半年間の罪汚れを祓う神事が行われます。
田植を終えた日
さなぶり
餅をつき、ほろの葉をとってきて、葉にたな米と豆を煎ったものを包み、大黒様に供えます。
7月
朔日 [新]葉山苗代祭 護摩祈祷
7日 七夕 6日前夜祭 8日七夕流し お墓払い 山払い ボン箸とり
中元
盆の墓参りに備えお墓を掃除する日。また山仕事をして山の雑草雑木を刈り払います。
13日 墓参り
お墓参り。お参りの後、墓から家までちょうちんを持って祖先の霊を家に迎えます。お墓に供える餅には盆箸といって柳の枝で作った箸を供えます。また家で食べる餅にも盆箸を使います。
仏壇には青竹を飾り長素?、昆布、長ささぎ、他に果物を吊るし供えます。仏壇の前には盆提灯をつけます。
16日 送り盆 本末木といって薪売り
送り盆
桜の皮を焚き「来年ござれ、来年ござれ、」と唱え送り火をします。
岩木では大日会が行われます。
17日 観音講
吉田・岩木地区で観音講が行われます。10月17日にも行われます。
20日 20日盆7日
そうめん振る舞い
22日 大般若会
岩木地区において大般若会が行われます。
8月
朔日
15日
1日 八朔青萱ぼた餅
はっさく朔日
青がやぼた餅ともいい、ぼた餅をついて青茅の箸で食べます。徳川家康が武蔵野に城を築いていた時、築城の様子を視察に来た家康が食事をしようとした時に箸がないので青茅で食べたからだといわれています。
15日 お八幡夜相撲(ドンガ相撲選抜) おびんづる汁(薩摩芋蔓) 他雨乞い 小滝不動 桂不動さまの例祭 【新】盆行事
八幡講
湯野沢の八幡様のお祭りで、夜「びんぞろます」といって、境内で芋汁を鍋で煮て酒宴をします。そして神様の前で子供たちが相撲をとりました。その時使用した軍配がXさん宅に残っています。
9月
1日 お天神様風祭 葉山風神祭 村相撲 剣道 [新]戦没者慰霊祭
15日 [新]ドンガ祭り 地獄餅
16日 (夜)おせんど カリンもぐ
おせんど餅・しんめさまの餅
お伊勢様を祀ります。久保地区の夜祭で夜店が立ちました。祭りからの帰り道にはとうきびや野菜果物を貰う習慣がありました。またこの日には親族を呼んで酒宴を各家で行いました。
23日 熊野神社例祭 早朝しめ縄張り 各村役総会 松茸飯 鯉の煮つけ 秋の彼岸 秋季皇霊祭
24日 地蔵様縁日 高い山
28日 お不動様−水神−杏木? 刈り初めの前
29日 刈り上げ餅
10月
1日 葉山年越し祭、バクチ祭り
2日 刈り上げぼた餅
8日・14日・16日 鹿の悪日 つとたて
10日 おくまんさまの堂篭もり 金比羅様祭日(23または25日?) 若い衆だっしゃい餅
24日 地蔵講
11月
3日 初大師講
13日 二大師講
16日 お月山
23日 終わり大師講 勤労感謝 夜店市
12月
7日 湯殿山講(当屋にて)
9日 耳明け まったん大根
大黒餅・耳あけ餅
またになった大根を大黒様に供え、一升枡に煎り豆を入れ、枡にお盆のふたをして、家の主人あるいは年男が羽織袴で枡を上下左右に振りながら♪大黒、大黒、まったん大黒来年も今年同様いい耳きかせてけらっしゃい♪と、唱え、拝み、そして煎り豆を家族が自分の歳の分だけ食べます。
12日 山つがえ(山の神のお祭灯)
山神の餅(祝い祝いだき)
子供たちが各地区ごとに家々を回って薪、藁を集めて歩きます。「おさいとうに焚く木、もらいにきました。」というと子供たちに薪を少しあげます。そして山神の前でおさいとうをして火を燃やして遊びます。祝い祝いだきともいいます。
20日 若衆部??
22日 冬至カボチャ(寒カボチャ)
30日 正月餅搗き 夜明かし 谷地つめの市
その他の行事
十八夜 二十三夜 庚申 観音(六面?) えがわり