にしかたの昔語り
むじなのむかさり
むじなのむかさりの行われる楯岡馬場地区の八幡神社
むじなのむかさりは、最上川を挟んで葉山の向かい側にそびえ立つ甑岳のふもとの楯岡馬場地区に伝わる行事です。村山市史 地理・生活文化編(平成8年 村山市)によれば、
「10月16日夕方から夜にかけては狢又は狐のムカサリの行事日で、主に最上川東部地区で行われた行事である。五十沢・名取地区ではムズナのムカサリの姿は見えず、屋根の上でタラバス(浅俵)を敷いて逆立ちをすると、甑岳の方に、ムズナが柿の葉の着物を着て、松明を持ったムカサリの行列が見えるという。不可思議な習俗であり、一種の山神送りの行事と考えられる。この日はポタモチを食べる。楯岡地区では、馬場宿生まれの菊地憲太郎著『ふるさと(楯岡の明治)』によれば、旧暦10月下旬に狐(狢ともいう)の嫁入りという行事があった。楯山の方に向かって股めがねをして見ると狐の嫁入りの行列の灯が見えるという。大正元年、小学6年生が中心となり、夕方からワラや杉皮で松明のようなものを作り、山道の石切り場から「お伊勢堂山」の峰伝いに、灯をともして10人位で楯山頂上へ登った。町の幼い子ども達が、その灯を見て驚いたという。実演した我々は大変得意になったと記している。楯岡地区では大沢川・馬場・楯の宿の大人が中心となり男だけで狐の嫁入り行列を作って町をねり歩き、楯山の山頂へ登る娯楽的な行事として実施してきた。狐面をつけ男子が女装して花嫁すがたに化けてムカサリとなって祝い事をするが時代の変化に伴って女子も加わるようになった。(301〜302ページ)」
ということです。これはホームページなどで仕入れた情報ですが、男性が花嫁・女性が花婿の姿をするようになったのは昭和50年代になってからからと聞いております。整理してみますと、
@昔は10月16日の行事であった(旧暦なのか新暦なのかは不明)。
A屋根の上で逆立ちをしたり、股めがねをして甑岳の山上を見る。
Bむじな(現在ではきつねのようだが昔はいわゆるもののけのことでしょうか?)の行列の灯が見える。
Cこの行事はぼた餅をついたりする祝い事である。
以上のことから推測すると、時期的には収穫が終わったあとの行事で、とにかく何か逆になることが重要な行事で、夜山の上に登っていくめでたい行事のようです。以上のことからすると、むじなのむかさりは収穫が終わったことへの感謝の気持ちを表す行事のようですが、わからないのは「逆になる」という点です。逆立ち、股めがね、男女逆・・・。これは私の勝手な推測ですが、これは田の神様が山の神様に変化することを象徴的に表しているのではないかと思います。これをきつねの嫁入りの松明行列に写して表現した行事なのではないかと思います。前記村山市史によれば大正時代のむじなのむかさりは単なる松明行列であったようですが、やはりこれも松明で田の神様を山の上にお送りすることを表している行事のような気がします。もちろん小学生がそこまで考えて行列をしたとは思えませんが、昔からの風習や生活習慣が自然にそういう行動をとらせたのかもしれません。
と、難しい考え事はこれくらいにしまして、実際のお祭りの写真を紹介します。数年前から見たい見たいと思っておりましたがなかなか見られず、ようやっと今回見られました。他のお祭り(祀り)行事同様、これも見応え満点の行事です。はっきり言って名前そのまま、怪しい雰囲気満点の行事です。昼間に行われるお祭りとはまた別な独特の雰囲気です。もちろん怪しいと入ってもカルト的な怪しさはなく、明るい怪しさといいますか、とにかくあの雰囲気は実際に行ってみないと言いあらわせません。思わずニヤッとしてしまう怪しさです。寒さ対策をして、ぜひご自分の目で一度ごらんください。