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にしかたの昔語り

鬼兜山合戦記



 鬼兜山合戦記は村山市内に伝わる軍記物としては比較的知られているものです。父が読みくだしたものを紹介します。こちらも原本は手元にはありません。天正最上軍記同様父がコピーをとって持ち主に返したものと思われます。原書は毛筆縦書きのものとペン書きのものがあります。
 一読すればわかるとおり鬼兜山合戦記はほとんど講釈本の世界で、昔この地方で合戦があったことくらいしかわかりませんが、忠臣蔵が江戸時代の出来事を南北朝〜室町時代の出来事に置き換えているように、戦国時代の出来事を平安時代の出来事に置き換えているような気がします。
 ここでは父の読みくだし文をほぼそのまま紹介します。軍記物として楽しく読んだ方がよいかもしれません。文字の誤りなどありましたら御免候え。

登場人物
豊原の安廣
落浜入道大林
 天正最上軍記では鬼甲城主鬼馬場ノ入道森近江守豊原保廣は白鳥十郎の祖先である、としています。
 また延文年中ノ頃、当国高湯(多分蔵王)に安西鬼九郎平盛澄と言う北条時政ノ末孫が龍山に屋形を構え村山郡20万石を押領していた。安西は慈悲深く百姓に慕われていた。という記載があります。何か源頼義を最上義光、豊原安広を白鳥十郎に例えているような気がします。

源頼義

 この物語の主役が源頼義となっているのはやはり昔この地方が外部勢力に侵略された歴史を物語っているのではないかと思います。そして、忠臣蔵のように時代設定をわざとずらして語った可能性もあると思います。やはり何か最上義光と白鳥十郎の争いに関連しているのではないかと思います。

渡部の武蔵守武綱・坂田兵庫の頭公平・薄井玄蕃之丞定兼・卜部の六郎末宗
これらの人物は恐らく源頼光四天王、渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武のことでしょう

平井清武
 藤原保昌のこと?

山冨の源太国直
藤浪源内宗春
錦川忠太盛俊
山河平蔵道時
石山兵道兼秀
市川源蔵宗行
須磨の小嶋の兵衛
 以上含めて人名はすべて架空のもの?

矢羽瀬村
 鶴岡市に矢馳という地名がありますが、関連性は不明。
諏訪が森
 東根市に諏訪森という地名があります。

 屋羽瀬の合戦
 上記二つの地名から関ヶ原の戦い時の上杉軍内陸侵攻が想像されますが全く想像の域を出ません。

  鬼甲山合戦記
                 
                                      鬼兜(甲)城
目録
一、将軍源頼義公併豊原の安廣相武将に信ぜらる之事。
一、両武将對面併坂田の金(公)平荒きの事。
一、近江の守豊原の安廣心替り、落濱と同心之事。
   附たり渡部打手之後詰手柄ら之事
一、武蔵の守渡部の竹(武)綱生捕れ市川仁義を立る事。
一、将軍頼義公勢揃籏馬印御改之事。
一、同家々籏そ路い(へ)の事。
一、兵庫の頭坂田之金(公)平抜かけ安廣が四天王を打事。
一、鬼甲の城江おし寄せ源氏の四天王手柄の事。
巻之終り

羽列
最上 鬼甲山合戦記
一.将軍源頼義公併豊原の安廣相武将に信ぜらる之事
 抑も其の後、倩おもんみ見るに、天道を重んじ仁義に叶、神慮之恵み之明らかにして、金銀珠玉蔵に満、老若男女諸共に群集をなせるを代の春、天下安穏富・貴万福と国も治まる源氏の御代こそ、目出度けれ。
 爰に鎮守府の将軍伊予の源氏頼義公申し奉る、清和天皇三代目多田之満仲之孫、頼光公之嫡男にて武誉の賢君源氏忠孝之名将なり。長元年中人王六拾七代三条之院の御宇に当り、御若  年たりたりとも、天下の武将を蒙り馳せ給ひ、公を壱人たり共怠慢なし。草木もなびくが如し。民も豊かに御家御繁盛にぞ暮らさせ給ひける
 抑又守る仰せ下に、第一家執権渡部の武蔵守武綱、其の下坂田兵庫の頭公平・薄井玄蕃之丞定兼・卜部の六郎末宗・平井之保朋清武とて、日本に隠れなき無双之名を得たる一騎当千の兵の五人、天地を響かす程の稀もの也。其の外在京の諸大名日々の出入れ隙もなく、源氏の御代御繁盛、千代万世とあおがぬ者こそなかりけり。
 さればにや、国土の災ひは、必ず下もより起きるとかや。其の頃公卿の大臣、すみやかに世の苦しみを顧みず邪ほこらるゝを、頼義其の時の武将役なれば深く戒め諫言有るを、金言耳に逆らふる習ひ、あれも是もを憤り禁中会合之砌、冠を揃ひて相聞(談)す。
 抑も昔より源平両家相併、天下二人の武将に候ふて、万端正しく取り扱ひ候ふゆへよろしく候ふ所、源氏頼光より只一人にて、心底にまかせ取り行ひ候ふ故、諸人の恨み之れ有り、国土の乱逆止む隙もなく殊に、頼義未だ若年に候らへば、何れにてもいま一人武将にふせさせ給はば、弥々国土治まると一同に相談有り。帝叡聞まし坐して、「諸卿うつたい実にも其の理備はれり。近江の守豊原之安廣武勇に逞しく知恵深し、彼ぞ備はる所なり。」と、安廣めや、「畏まり。」候ふと、則ち勅使立てにける。安廣勅にをうじて参内す。帝叡聞ましまして、高橋大納言事之宣旨を仰せける。「今より以後源氏頼義と両輪にそなはり、天下の政道正しく取り行ふべし。」と有りければ、「世に有り難き勅定や。」と、羨まざるはなかりけり。元より安廣奢り第一之者なれば、思ひのまま成る勅定也と悦び屋形へ帰りける。
 去る程に頼義公初春之御祝儀とて、五人の殿はらを召し出し、御酒宴遊びの所へ、帝より高倉の中将大納言勅使として参内有り。「近江守豊原の安廣相武将にふせらるゝの間、何事も両人内談せしめ相戦うべし。」との也と申せしかば、頼義慎みて申しける。「一人にて如何おぼつかなく存じ候ふ所、願ひのまゝ成る勅定来たり畏まり。」と御請け有り。
 其の後ち殿ばらを召され、「彼の安廣大悪無道の驕り者と聞きて有り。左様成るにせ者と武将に任ぜらるゝ身の不肖、何れも其の心得有るべし。」公平承り奢り者相手に致すべしや。若も運命尽き、;飛んで火に入る夏の虫;をのれと自滅を招く、安廣が首捻ぢ切り提げ申さんと事もなげにぞ申しける。斯くて二三日過ぎけれとも、未だ安廣来たらず。頼義察して、「事を作る驕り者哉。この上彼れが宅へ打越し、心ざしを試し万事しめし合ふべし。」と、の給へば公平膝立て直し、「こは、仰々しき御定哉。御出有りき。奴が心を引き見給へ。我が君は先年より武将の道を守り給ふ。かれら参り申すべき筈成るに、態と控へて来たらぬ。諸々の掟、只今迄悉く御壱人にて取り行ひ給ふに、安廣が屋形にふん込み、是非の次第を糺すんに何んの子細が候ははん。よそへ御出御無用に候ふ。」と、振り切って申し上げる。武綱つくづくと工夫して、「公平が述ぶる段、道に当り潔し。併し彼の安廣無体の奢り、我慢之曲者なれば、君の御出待ちて、態と控えると覚へたり。左様成る痴れ者と負けず劣らず御争へば、慮外乍ら名将公方にあらず。只何となく御出有りて、一見威を以て取りひしがせ給はん事、よろしく存じ奉る。」と、糺し申し上げる。頼義聞こし召し、「げに渡部が申す所、頼義察し給ふ。さらば打越対面せん。」と、御座を立たせ給へば、武綱迎へ出て立たんとすれば、公平「またせ候へ渡部、君あれへお越しあらば、まさしく源氏の弓矢廃りぬるに、御  ぶんひたすらに勧め奉る、心替わり仕り、御家を疎もなくむさんに背く企みと覚えたり。正前君の敵おことや。」と気色かはって飛んでかかる。人々;こは、いかに;と押しとどむる。
 武綱少しも騒がず、公平又持病おこりぬる。笑止さよとニコッと笑ふて立ちにける。をうようにぞ見えける。公平見て、「武綱が又しめり分別なしにける。」と公平両方之耳に手をあて龍平に立ちに成り、屋形へこそ帰りける。公平が勢い感ぜぬ者こそなかりけり。
二.両武将對面坂田之公平荒気の事
 去る程に安廣は家の子郎等を近付けいかに方々控えて行かぬに、頼義来らせ給ふ。斯と案内入れければ、安廣は対面有り。「いざ、此方へ、こなたへ。」と、奥へ招し奉り。酒に肴と色々もてなし奉る。
 酒も三献過ぎて後、安廣は酔興のあまりに、酌取り直し申しけるは、「夫れ、国土に人多しといゑども、選び出され武将の宣旨蒙る事、生涯の面目、此の上もなき幸せ、一命を戦場に投げうって、潔き誉れを四海に広め申さん。」と、広言がましく申しける。頼義聞こし召して、「聞きしにまさる奢り者、猶も真意を引き見ん」と、態と挨拶を成れつゝ、御心にそ感嘆の余り存じ之外の驕り者。」と心地好く渡らせ給ふ。其の時、頼義古き臣下共には、「相遅れ若年といへ、万事いぶかしき事の身に候はん。万端御添え力を願ひ候ふべし。」と、猶、慇懃にぞ述べられける。
 安廣も此の言葉に愈奢り、弥増しのたまふ如く、御家には盤総・金時・定満・末武・保昌とて、五人之人々有り。時は日本に人有りとも思わず、羨ましきに存じしに、相続きて相果てし事。嘸たとへなく御思し召す也。誠に武士の御一言は、家の臣下にて候ふ。身不肖なれども、我々は家に伝わる勇士をば肩の如く成し、大の各々四人達を横たへて、座敷に余りて直りける。安廣見て、「是に渡らせ給ふは、源氏の頼義公也。しせんの時は、相武将たるべき候ふ間、万端御下知を背く事なかれ。」と、世にをこがましく申しける。四人の者ども膝立て直し、「さん候ふ。某は、かわ公家のもて遊び、弓矢は武士の励む技に候ら得ば、万人の信ずる所薄き故、当時は古しへの如く勇力の者は候ふはず、物の扱ひには候はねど、我は弓矢取りて名を高くせんと相守り、幼稚之昔より長年之今に至まで、昼夜軍記に身を委ね、伏しても式を忘れず、鬼人をも中に掴んでみぢんになさんと、随分励み候ふ。時日にも事出来致さば、恐れ乍ら両武将の先駈け我々に給らん。」と、大髯撫で上げ撫で上げ傍若無人の振舞也。頼義御覧じ給ひて、「彼等が体、余りにいびる也。かく有るべきと知るならば、五人之内一人召し供せんものと、一期の無仁爰也。きやづら無勢にてはひつ上げ慮外に及ぶべし。」と、後ろの障子を楯に取り忍びて、刀の柄に手を懸けて、只一筋に思ひ定めし所へ、坂田之公平は案内なしに来たり。「爰を通せ若者共。」と、申せば、番の人々侍れども、「夫れ狼藉者。」と押し留める。公平見て、「人の家に人の来るを狼藉とや。狐狸之住み家なるが、爰を立ち退け子狐ども。」と、東西へ突き倒し、奥をさしてぞ罷り通る。「ごめんなれ人々。」と、座敷の中にむんづと直る。安廣見て「おことは何者ぞ。」公平聞きて、「我は天下の稀者坂田之公平を見知らぬ御ふん何者ぞ。」頼義底には心地よく、うわべには驚き給ふ気色にて、「汝は知らずや。是に渡らせ給ふは、総武将に備わる近江守豊原之安廣公成るそ。罷り下れ。」と、はったとにらんで宣へば、公平驚きたる気色にて、「是れに渡らせ給ふは、安廣公にて坐す座すか。存ぜず慮外仕り、真平に御免候らゑよ。抑又是にひけむさむさと、生いさき能き人々は、内に蒙り及びたる四天王達にてましますかや。世にをびただしき御器量哉。」と、身の毛もよたつて感じ入り候ふ。「さりながら初めての参会にしるしなくては叶ふまじ。夫れ四天王とやらんは、あしく須弥之多門・持国・悪魔を降伏有りし程の力無くては、四天王とは申されず。その心身にふつす何か成る天魔疫神も取りひしぐ勇力なくては、四天王とは申されず。四天王のかたを取って四天王とは申す也。浮世には四天王無くては叶ふまじ。此の公平に於ては人之首を捕る事は父上より覚へたり。御用ならば教へ申さん。」と、えせ笑ひして申しける。只今迄は鬼神の如く広言致すせし四人の者ども数のをくれを取り、安廣公は、公平に座敷の恥辱を与えられ、こつつゑ憤り晴れ難き。されどもせんかたなく渡らせ給ひ、金時が一子程有りて、公平天晴れ器量天下の勇士頼もしくとて、銚子・土器取り出して、公平に下されける。「有り難し。」とて、三献ほして、慮外ながら安廣公へ献上仕り願ひ奉れば、頼義若年とはいゑ、又従ふ者ども、若気の至り、先かけ抜けかけ候ふともをとなしやがに、願奉、誠に両武将初めての対面仁義正しく申しける所に、屋形に残りし四人之人々追々に来たり、武綱君の御前に謹んで畏まり、御帰館をそなわり候ふ故、御迎へに参上仕ると、相述ぶる。「いかに兵庫の頭、早々帰られよ。」と、申しければ、公平猶もとどまりしに、武綱申しけるは、「仁義正しき此所にむらむらと拝し、今はいかなる人に候ふ。」と申し上げる。頼義公御覧じて、「夫れなる人々は豊原家の四天王達にて候ふぞ。と、武綱聞きて、「天晴れ、御器量、身もよだつて恐ろしや。公平猶も腕おしまくり"づツ"とより寄せ、「人々の争ひ最もなり。」と、首を取るか取らるゝか。腕押しまくり頻りに寄れば、次の座敷へ二たすさり三すさりすさるを見て、「我ればし、恨むな偽者。」と、座敷を蹴立ち、君の御供仕る御所へ帰り給ひけり。
 彼の公平の働きを感ぜぬものこそなかりけり。
一.安廣心変り渡部手柄之事
 抑も其の後、豊原の安廣公は、思ひの外に存じ、すこむる恥辱無念たぐいなし。然る所へ御門よ
り勅使にて召されければ、「何事やらん」と、勅に仰ふして参内す。時も移さず頼義公も御召し有りて参内す。奥よりの宣旨には、「只今召す事、別義にあらず、出羽の国の住人落浜入道大林鬼甲山に城郭を構へ天を掠め地をおこがすすと、早う討って都へ上る事櫛のはを引くが如し。早く討ち三度さんこう有り。頼義都に残り禁裏を守護いたすべし。安廣は急ぎ彼の地に発向し、逆徒を誅伐致すべし。併頼義勢安廣が後詰め(攻め)として、差し下すべし。」と、の宣旨なり。安廣承り、「勅宣の段、委細畏まり候ふと恐れ入り候得共、斯様の討っ手に罷り下り候ふは、身が軽々しくては候わず。将軍公の位に預かり候へば弓箭之面目此の事に候ふべし。併頼義か勢後詰めに仰せ付けられ候ふ段、安廣参向仕る上は、源家之力軽べきまでにも候はず。此の義御免下さるべし。」と、相聞す。帝叡聞ましまして、「先づ将軍公よりの段、此度朝敵誅伐致す上は、朝日将軍にふせ(任)らるゝべし。又頼義後ろ詰めに差し添はば、走る馬に鞭打って甲の緒をしむるが如し。是れ安廣が弓矢の疵に成るべきに有らず。りんけんは汗の如く出て、二度かゑらずとぐとぐ。」との宣旨也。
 安廣心にふくせね共、力及ばず御前を罷立ち、屋形さしてぞ帰りける。宿所になれば、家の子郎等を近付け、様々の次第なり。かへすがへす答聞申しけれ共、二つの願い一つも叶わず、身は骨髄に通り手晴れがたし。此度討って下り幸ひ也。逆心の落浜入道と一つ所成る源氏の勢を引き請け、平家が強か源氏が強か、頼義と運争ひ天下を取りて胸の存念を晴らさん。方々と源家之四天王かけ合いに骨を砕き励むべし。先日の座敷の恥をすすぐは此度ぞ。面々と勇むれば、山冨之源太国直膝立てなおし、「さん候ふ。幸い落浜が内には、某が内縁之者候得ば、先だって罷り下り、御一味之段示し合わせ候はん。」と、
安廣悦び、それ、それ屈強の事急ぎ忍びて先へ遣はしける。
 其の身一門家の子残り無く都合其の勢五千余騎、洛陽を打立て東国をさして下りける。
 去る程に頼義公御屋形に帰らせ給へば、つくづくと御思案有り。「此度之後攻めは、大事成る。勇力有りても知恵なくては叶ふまじ又知恵が有りても勇力なくて悪しかりなん。両方共に兼ねたるは武綱なり。とかく渡部然るべし。併ながら例の金平先陣を望むべし。金平を遣わせば事を乱さんは必定なり。何卒少し都に留めん。」と思し召す所へ、五人之者共追々に来たり。君之御前に畏まり、「さだめて討っ手の宣旨をば某蒙らん。今日は正月七日之御祝儀、是に過ぎたる目出度き事はなし。」と、そぞろに勇み進みける。頼義聞ひて、「いやとよ、討っ手之大将は、近江守豊原之安廣に仰せ付けられ、某方より後ろ見の勢を遣はせ。」との宣旨なり。金平本意なけ成る不情にて、「こは、思いの外成る事共哉。東国に乱逆おこりたると聞く空に、国の五カ国や十ケ国賜りたるより嬉しく存じしに討っ手之宣旨安廣に仰せ付けられ、隣之宝を算へ悦ぶ事之口惜しや。せめて後見の大将をば、金平に仰せ付け候へよ。後攻めとは、名ばかりにて、ずつとかけたる風情にて宣旨をかけぬけ、唐土の咸陽京を学びたる城なりとも、三日までは手間取り申すまじ。櫓替え立て落花微塵に引き崩し、向ふ者をばつゝ貫き胴切りから竹割り引き裂き引き裂き、堀の埋め草となし、本城に飛び込み大将落浜が首捻切り、安廣には吉野の山花の盛り散り足る跡を見せ申さん。」と、進んでこそは申し上げる。頼義聞きて、「をゝ潔し。金平おことを東国へ遣はす所に候得共、帝都に留めらるゝに子細有り。都の内大義成る乱れ出で来つ、然るに、おこと東国へ遣はしては、彼の乱逆鎮める事叶がたし。此度は大事也。洛陽に残り、都の乱逆を鎮むべし。」と、「東国の後攻めには、武綱罷り下れ。早々に。」と、有りければ、武「畏まり候ふ。」と、御請け申し、罷り立つ。金平見て、「少し用あり。待たれ候ふ。渡部。」と、申しければ、武綱「御ぶんの用事は心得たり。」とうち笑ひて、屋形をさして帰りける。金平君の御屓無ければ力及ばず。「何、都の乱逆のため、某をば洛陽に留めさせ給ふとな。其れ程ならば文武二道の切り之者、四天王随一と仰がせ給ふ武綱を悪しに遣わし申さんや。金平は下っては血気にはやり、事を乱さんと覚へ、偽って留めさせ給ふべし。腰が抜けたる犬猫か。武綱には劣らじ。」と、思へども、君御屓あれば力無し故、「面白からざる世の中。」と、づんと立ち、我が家をさして帰りける。
 さる程に安廣は、斯を目について討つ程に、出羽国矢羽瀬村にぞ着きにける。然るに先達て下りし山冨源太国直馳せ来たり。「落浜入道大林へ、右の段申し通じ候得ば、先大論悦喜限りなく、いかにも御一味致さんと祈誓仕り候ふ。」と、ことつぶさに相述べる。安廣聞きて、「事調へ候ふ。殊勝なるや。安穏也。然からば後攻めに来る源氏之勢を待ちうけ討ち取り、その後、城に入るべしと、後より来る源氏の勢、今や遅しと待ちいたり。
 斯とは知らんで、武綱は五百余騎を引き供して、先使の跡を慕ふて討ちけるが、安廣心替わりをし、逆心落浜と一緒に成り、後攻めの勢を相待つ良聞きしより、武綱軍の勢を近付け、天晴、運命極まりたり。安廣が勢谷にも五千余騎、それに落浜が勢加わらば、雲霞の大勢たるに、味方は僅か五百余騎、孔明が威勢をふるとも、勝利を得べき軍さにあらず。
 さればとて、後攻めに来る身が一方の大将を敵一つになし、めくめくと控えんは、末代迄の笑い種と思ひ、定刻をうつさず取りかけん。敵は大勢といえども天子に弓引く大悪人、焼野の雉子の思ひ有り。味方は小勢なれども、将に勅を蒙れば、君の勢いぞ備はれり。「只命限りの軍成り。早や討ったてや。めんめん。」と、一文字に備へを立てて、もみにもんでぞ急ぎける。はや矢羽瀬村にもなりしかば、両方それと見るよりも、鬨の声をぞ揚げにける。
 鬨の声だに鎮まれば、我れ劣らじと駆け出る。
 軍は、花をぞ散らしける。その日辰の刻より申の刻の終わり迄、十七度之かけ合いに、安廣が勢に五百余騎討たるれば、源氏は、僅か四人に成りにけり。
 一騎は大将武綱、抑も又藤浪源内宗春、錦川忠太盛俊、山河平蔵道時。斯くて時刻うつさば、暁の月影に討つ程に敵も味方も明らか也。安廣才振り上げ、「最早、源氏の勢、終に四・五騎残りたり。あれ討ち取れと下知すれば、「橋村七郎頼国は、残る所の源氏をば、某請け取り候ふ。」と、いふを合図に討っかかる。藤浪源内見るよりも、「何者なれば推参や。諏訪源氏の手並み見せ申さん。」と、横手なぐりになぐれば、無残や弱腰打ち離され、二つに成りて倒れける。
 その時緋威しの鎧を着たる大の武者大長刀引き提げ、づつと出て打ちければ、藤浪が首、前にぞ落ちにける。錦川忠太見るよりも、「やつ。」と、言ふて討ってかかる。二打ち三打ち斬り合いしが、高股を斬り離され、まろぶ所を首中に打ち落とす。「山河平蔵死なしたり。」一文字に組つるを、彼の武者ことともせず、やさしき騎馬也。と弓手へどふと蹴倒し、首かき落とし、三つの首切つ先に貫きつつ立ち上り、大音声、「我れこそ、豊原家之四天王、山冨の源太国直也。軍はこうこそするもの。」と、高らかに名乗りける。武綱聞ひて、「四天王にて候ふや。我れこそ、渡部之武綱也。ばつと見参。」と走りかかつてむんずと組む。山冨えたりや、おふと引き組引きかけ投げんとす。武綱、ニッコと笑ひ、「小兵なれども渡部ぞ左様之手弱くてゆくべきや。偽正真の四天王の争ひ也。」とて、まっ逆さまに蹴倒しけるところへ、黒皮威の鎧着たる武者一人走り来て、なり重なり武綱を引き退けんとするを、右の腕むんずと取り、「汝は何者なるぞ。名を名乗れ。」「何者とは愚かなり。我れこそは、豊原家の四天王随一の石山兵道兼秀也。」「抑は、おことは四天王なるや。一天二天にては、渡部は討たれまじ。四天も五天も一度に寄れ。幾手にてもあますまじ。」と、前へがつぱと引き伏せ、首一々に捻斬り、残る所の軍勢追い散らし、息をつめてぞ、控へける。武綱が働き、誠に四天王の随一と感ぜぬ者こそなかりける。

一.渡部生け捕られ市川仁義を立てる事
 抑もその後武綱は、味方の勢をば皆討たれ、「我れめくめくと、引きかへさば、人々の謗り、身の恥辱・家之弓矢廃るべし。頭を惜しまず討ち死にするなば、源家の鉾先弱るべし。」と、是れを察し態と生け捕らるゝ也。「命長らへ有るならば、人々の批判も有るまじ。」と、一つは、敵に近付き折れべき。謀ごともや有るべき也。」と、工夫を廻らし、縦へは磐石の牢へ押し込めたりとも誠の時は踏み破らで置くべきかと、只一と筋に思ひ定めし所へ、老人一人悠然と現れ出て、大なる御声にて、「いかに武綱よっく聞け。爰をむなしく引きて帰らば、渡部が家の疵也。又討ち死に致さば、源氏の鉾先弱るべし。両義兼ねて敵の手に渡らんと思ひ、心底にて末の世には、日本の長領とこそ仰がれ申すべし。汝、心に任すべし。命に怪我は有るまじ。」と、の給ふて、我れは、是れ洛陽八幡あたりの者なるぞ。」と、忽ち姿を引き替へ、雲居遥かに上らるゝ。不思議なりける次第なり。
 武綱心の内に思ふやう「抑は源氏の武神正八幡、是迄現じ給ふかや有り難さよ。」と御行く方をふし拝み、暮れ行く空と諸共に敵の陣所へ駈け入りて、「此度後攻めの大将渡部の武綱爰に有り。我と思ふ輩らは、立ち寄り手くめやくめや。」と、呼はれば、「有り合う者共一騎討ちには叶うまじ。」徒、一度にどっと寄りかかる。武綱にどっと大勢討ち重なり押さへて、縄をばかけにける。
 其後、安廣が前に引き据へる。安廣見て、「是は大事の敵や。」と、家の臣下市川源蔵宗行とて、大豪の者を近付け、「いかに、市川、是れぞ、大事の敵なり。長置きしては何かなる。謀り事を回らさんもはかり難し。只今討ちて捨べき者なれど、今日は大森報い日なれば、明日迄汝に預かるや。明日此方より下知次第に首を刎ねよ。」早とくとくと有りければ、市川居たね所を立ち、渡部を請け取り宿所をさして帰りにける。
 宿所になれば家の子郎等を差し添へ、厳しき番をぞつけにけり。斯して夜もしんしんと澄み渡るれば、無常をつくづく感じ、「いかに、警護のともなわれば武運の果て、かかる縄目の恥辱に及ぶこと、前世の悪縁深き故なり。我れ九才の歳より法華経を保つ、観世音に帰依(向)し、毎日怠る事なし。
 今日は戦場に暇なくして、未だ御勤めにも至らず、方々も夫れにて聴聞をせよ。八軸の妙典と一つは諸々の経、大恩経須弥の釈尊出世の本懐、八ケ年の説法たり。誠に妙の一字大なる事無量にして、述べ難し。
 此れ経保たん者供連台供連のかうりも消へ寂光舞台の天蓮華の臺に至らんとの金言たり。
 尊ぶべき。此経頼むべきは仏道也。思へば、此の世は無常の燈火たり。我れ武道に生まれ、悪念に落ち入り長々無限にたざゑせん。あら、浅ましや。と、肝に銘じ初本第一より五巻、大葉本迄よに尊く読み上げ、南無観世音、南無観世音。」と百辺ばかり唱えれば、市川一間を隔てて居たりしが、武綱法華経読誦、御法の声肝に銘じ、手づから銚子土器取り出して、あいの戸引き開け忍び出て、渡部か前に跪き、「有り難し、有り難し。かかる武道といふた敵味方と隔てて縄をかける事天の上覧も恐れ有り。さりながら君の名仰に任せて力なし。御ぶん浮世の名残りも今宵ばかり也。出て出で。戒め縄をとき、心静かに観念あれ。」と、酒を勧むる殊勝なり。武綱見て、「抑優しき心底哉。何れの世にかは報ゆべし。身擾乱に及べ共、仁義の道は廃らじ。と、只今の発心渡部がためには、却て情けの罪科也。其の理と言うは、我れ此度弱わ弱わと搦められし事、心得有りて謀り事の為め也。されとも敵色を覚り。「明日殺害と極まりしかば、今宵の内に縄締め切り、警護の殿ばら一々に蹴散らし、落ち行かんと一筋に思い定むれば、我れ落ち行かば、御へん科に沈むべし。無残也。不憫の身の行く末御運の上を思ひ有り。法華経読誦致せしに、かように情けありし事、信心深かな此上は我れ落ち行かば、貴殿に難儀かけん事、なかなか以て有るまじき。
 とにもかくにも天下の儀する所は是非もなし。早々縄を掛け給へ。」と、我れと手を廻しける。宗行聞ひて、「感じ入りたる心底、いわれを聞けば、誠に、某が情けかへって罪科たり。よもよも御へん漏らすらせし科にて、八つ裂きにせらるゝ共、前世の事と思へば限り無し。全く縄をばかけまじき。急ぎ落ち行き給へ。侍りたる身が太刀・刀無くては末の難儀にかからん。見苦しけれ共参らせん。」と、腰に帯したる太刀・刀投げ出して、「早、疾く疾く。」と、勧むれば、渡部聞きて、「抑優しき心底、いづれの世にかは報ひすべし。我が故に無実の罪にしずめん事、何の面目か有りてか身を免れんや。此の上は我れ落ち行く者ならば、御身主人と頼み、安廣が為には、虎の子を飼ひ育て、千里の野辺に放すに事なからず。安廣が為には大ひなる不忠、某が為には義理を立て、主を捨てるは忠心の法にあらず。戒め給へ。誠に縄をかけられば、八幡も上覧あれ。是れにて生害致すべし。」と、市川聞きて、「述べらるゝ段至り極まれり。実にも御へんを落さば、我が主安廣へは不忠の至り尤も也。されば主君此度の執り行ひ、皆以て邪なり。昔より天子に弓引く者一人として安穏なる者なし。とにもかくにも亡びはて申すべし。去るに依って主の安廣へ様々に堪忍入りけれども、更に承引なし。此の上は潔く討ち死にするより外はなし。と思ひ定め、御身落ち行き給へ。日本の長領節の名人共致し故、斯れとは申す也。」と、勇めければ、武綱聞き居て、「其の儀ならば、明日の刀取りをば、御身望みて切り手となって給べ。わざと色々の時節をうつさん。其の時さ足に任せて飛び縄をしめ切り落ち行き給はば、御へんも害を逃れるべし。儀を破る法やなし。」と、市川悦び出て、戒め縄をかけ給へば、夜はほのぼのと明けにけり。

 須磨の小嶋の兵衛駈け来たり。武綱を林の内へ引き出し、林になれば、太刀・刀取りには、市川源蔵望んでの切り手なり。後ろへ廻りければ、下知の者見て、「大切の凶人也。早々討って。」と下知すれば、市川兼ねて約束有りければ、時刻を延べ、市川申しけるは、「それ侍は年頃日頃如何なる誉れ有る共、最期悪しければ何ごともなしに成すぞ。」一念いかにと申しければ、件の総ては聞きひて、面白く面白く、本来は無一門万事夢中の一と眠り、空より来て空に帰る。打つも討たるゝも、夢の戯れといふべし。」と、思へば、弓手の方へひらりと飛び縄取りを中に引き立て、悪しき所も何にも嫌ひなくおっとり越へ、跳ね越へ飛び越へ走り行く飛鳥などの如く也。警護の者共我も我もと追いかける。
 渡部遥かに落ち延び、金剛力を出し縄をずんずんにしめ切り、身繕ひする所へ、下知の小嶋の兵衛まっ先に進み、揉みにもんで馳せ来たり、太刀抜きかざし討ってかえる。飛び違ひてかい掴み、「渡部がけふの打ち物是れなり。」首ふっつと捻切り、はたらく奴ばら四方へばっと追い散らし、心地よくして行きにけるが、武綱がはたらき、貴賎上下をしなべて感ぜぬ者こそなかりけり。
一.頼義勢揃ひ併旗馬印御改の事
 其の後、都にては東国の次第、未た聞こへざる所へ、三島の判官早馬にて馳せ来たり。大息ついてぞ注進す。「此度討っ手の大将近江の守安廣は逆心の落浜入道と一緒に成り、後攻めの源氏を取り篭一日一夜の戦に源氏の方駈け競り、大将武綱を始め一騎も残らず。討ち死に致され候ふ。其後安廣鬼甲山の城に入り、落浜と諸共に閉じこもり候ふ。」と、訴へける。
 武将頼聞こし召し、「何渡部は千騎万騎にて、取り巻くとも、討たれまじき者なるが、運命つきれば、徒に討ち死にしたる不憫さよ。是と言うふも頼義が運の尽き足る所也。源氏の鉾先折れにけるぞ。急ぎ此旨伴奏上し、早討ち立て。面々いかに。」と、仰せける。「金平それと聞くよりも仮病をかまへ引きこもり、定兼・末宗討ち越へてだましすかして召し出せ。」と、一人武者御供にて禁裏をさして参内有り。
 定兼・末宗両人は、金平が宿所をさして急ぎける。屋形になれば案内乞ふて内に入る。使ひ申し上げれば、使ひ聞くより態と取り乱して、大綿帽子にて頭を包み、家の子侍る供の肩にすがり出にけり。「病気もっての外也。無躰ならば、明日までの命保ち難し。あゝ苦しや。」と、やうやう挨拶に及びける。「定兼・末宗如何に金平殿。持病も時による。安廣逆心と一緒に成り、源氏方より遣したる後攻めの勢残りなく討ち死にして、武綱も討ち死に致したり。さるによって君東国へ発向有り。急ぎ用意致されよ。」と、言いけれどば、金平聞ひて、「座興もことによるもの。何事も存じまじき『武綱』と頼義御目利き有りて遣はされしに、渡部何しに軍負けべきや。をゝ心得たり。金平大病なる間軍物語して、某しを勇めん為に。左様のあらき事は常の事也。此の世の縁切れ斯様に弱り果てぬれば、只後の世の事ばかり也。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」と、傍ら向ひてぞ、えせ笑ひしてそ居たりける。定兼・末宗荒れ果てて傍に寄り、「持病も時によるものぞ。源家の大事この度也。あまりなる事ども也。御へん左様に有るべき。」と、御推量有りて我々を御遣はし候ふ。」と、申しければ、金平、「抑は方々武将頼義よりの御使ひにてましますが、慮外申したり。」と、謹んで跪き、「東国の乱逆御味方駈け負け候ふ由、近頃笑止千万に存じ候婦。金平もものの役には立ち申さずとも息災に候はば、御供科可申す候ら得ども、大病を引き請け候ば、是非もなき幸せ、近頃御残り多く候ふと。」と、慇懃にあい述べる。二人の輩あまりの事にあきれはてたるばかり也。然る所へ頼義公一人武者を御供にて来らせ給ひ手、「如何に兵庫頭へ見舞ひに来たり。抑も、病気の次第如何に如何に。」と有りければ、金平やや声を震わせ、病などに伏すは人の上さへ、世にをかしく存じしに、斯様なる身になり力無く候ふ。」と、態と苦しげなる息をつき申しける。武将頼義聞き給ひて、「近頃、病気以ての外に見給ひて、抑も東国の乱逆の次第定めて聞きつらん。家の大事、この度也。御ごと大病成るとも、罷り下りて向ふてくれ。例へ病気にて働かずとも、金平と言ふ名を聞くだにも敵恐るゝ所也。「兵庫の頭承り候得ども、さしも無双の武綱向ひ叶わぬあとへ金平などは向かふは、鬼の跡へがぎの向かふに異ならず。何の御用に立ち申さず候ふ。日頃仰せられし都の乱逆鎮め申すべき候ふと、東国の御供を真平に御免候へ。」と、有りければ、頼義公聞こし召し、「是非も無し無し。左右の腕と思ひし武綱は討ち死にす。盾鉾とも頼りしおことは頼義を見限る。この上は弓矢をとらわれ、先にて討ち死にするより外はなし。是迄なり方々。」と、御座を立たせ給ひければ、金平罷り出て武将の袂にすがりつき、「さほどに思し召すならば、御心底存ぜず御恨み申したり。何事も日頃の御厚恩に御許し給れと、只何事も候はず有り難きの御情也。」と、あまりの事の忝なさに声をあげてぞ嘆かるゝ。やや有りて涙押しとめ、武綱討ち死にと承り候ら得ども、更に誠と存ぜず。みな謀りごとにてそら腹切り、人の聞き謝りか。渡部が心底、我れよく存じて候ふ。態と敵の手に渡り、時節を待ちてぞ候はん。凡そ日本の内に渡部を討たん者覚へ無し、御心安かれ方々。何とてをくれ給ふ。早々打ち立て給へ。めんめん。この度先陣をば金平承り候ふ。一番に駆け込み馳せ向かひて、雑兵をば将棋倒しに討ち伏せ、憎しと思ふ安廣をば中に引提げ、本望をとけん。」と、勢い返りて勇みける。武将御悦気不斜、御屋形へ帰らせ給ひて、その日の翌日、都合其の勢二万三千余騎を引き具して、東国さして下らるゝ。急がせ給へば、程もなく出羽の国阿諏訪が森にぞ、陣を取り給ふ。
 右主の山を見渡せば、風吹き靡く赤旗白旗数千本、木間木間に翻し、その中に浅黄の韋駄天書きたる旗印立ててあり。頼義見給へば武綱山の内よりつつと出で、「金平が旗見へけるは。」山より駆け下り、飛ぶ如く駈け来たり。御陣中ぞ入りければ、渡部承り、「さん候ふ。安廣心変わり仕り、逆心の落浜と一緒になり、味方の勢一騎も残らず討ち果たされ、我れ只一人に罷り成り候ふを、謀りごとを廻らして、態と敵の手に渡り手造りの勝負致さんと存じし所、安廣油断仕らず殺害に極まり候ふ間、縄しめ切りて、警護の奴ばらを蹴散らし、踏み飛ばし逃れ出て、何卒ぞして勢を集め、城へ取り駆けかゝらんと励み候へ得ども、近国の諸侍、皆逆心に召しつき、片方へ参り申さず。さればとて、後見の大将蒙りたるかいもなくをめをめ帰り候はん事、源氏の弓矢の名残りと致し、やうやく武士二三拾人語らひにせ旗をこしらへ梢々に翻し、大勢山に篭もりたる躰に見せ、たやすく攻め入らん躰に楯を構へ都勢あひ待ち候ふ。」と、あい述べれば、君を始め奉り何れも渡部を見上げ見下ろし、「げに、武士の鏡や」と、感ぜぬ者はなかりけり。金平武綱が側に寄り、「御ぶん、討ち死にと聞き何れも驚き候得ども、我れおことの心中よく存じし故驚く事も無し。如何に人々、都にて申せし段何れと違って候ふ。かう仕えられたり。渡部。此の金平ならばあのやうなる山の上に獅子・猿などを供どもして、うかうかとは控へまじ。首を取るか取らるゝか城の内へ駆け込み、此の太刀のかねの程こそ限り也。八方立ち割り車切り、壱人も残らず者を思へば思へば、残り多しと、歯がみをなして立ちたりける時に、武将仰せけるは、「如何に渡部、城の案内詳しく存じ候はん。其のあらましを諸軍勢に語り聞かせ、四方の攻め口手分けをなせ。その上都勢押し寄せ、道すがら国々の勢をあい添へ候ら得ば、若等あい記せ畏まり候ふ。」と、諸軍勢に一々次第に触れ渡す。華やか成りける気色也。
一.旗馬印御改の事
 抑家々の陣幕に旗の紋、沢潟輪違い三ツ品へと渡るなたの帆掛け舟すそ黒中向・四ツ目結い・かた田の浦の海人の引く手隙なき網の手や風を含める団扇の篭・扇ぎ流しの紋も有り。将棋の駒や芭蕉の葉雪打ち竹の、其の外に白き兎の伏したるは、冬と好める馬印、吹きぬきはれん竹笠や、三蓋笠の印も有り。
 頃は秋にぞあらねども乱るゝ糸薄、紅葉に鹿や籬に菊、色様々の旗印。下ろす深山の春風に、貴方此方と翻し、咲くや吉野の花盛り。竜田の山野秋の暮れ、錦を晒す如くなり。
其の時武綱宰取り置きし。「この度敵篭もる鬼甲山の城へ、その間如何程有るか。」渡部聞ひて、「是れより上は道三里、通り筋に森林多くして、敵伏せ致すべし。臥せ勢其の心得守り一つ也。金平聞き、其の森林を一々焼き払い通るに子細あらず 抑篭もる所の勢如何。」渡部聞きて、「さん候ふ。篭城の大将落浜が勢は五千七百余騎、豊原の安廣勢三千五百余騎、両勢都合壱万三千余騎着到也。金平聞ひて、存の外の小勢也。只一党の旗勝負。「抑も四方寄せには如何。」渡部答へて待つ。「東ぞ高山谷深く険阻にして登り難し。険難成る要害たやすく攻め難き堅城なり。金平聞きて、「それこそよし。」常に岩や岩石をあい並べたる。北国の勢芦名・保科・更科一人武者相添ひ給ひ、武綱聞きて、「尤も手立て宜しかるべし。抑南は大河梺迄皆切り落とし、逆巻く波は満々たり。吹きあう法被の龍馬なりとも、たやすく渡り難し。難し大川なり。金平聞きて、「夫れこそ宇治川、瀬田の湖に常連したる近江山城の勢に、定兼・末宗を相添へ給へ。」渡部聞きて、「げに、其の手わけ然るべし。殊に所は宿老たる山中に、四つの空堀・三重の塀茨からたちひしぎつき、異国の判官が勇力にても及び難し。金平聞きもあへず、事々しいの渡部其の判官は及ばずとも、此の金平は及ぶべし。それこそ常々深山に相慣れたる吉野濡れ川の勢に、我をあい添ひ給へ。三重の塀引き崩し郭堀に埋め、一文字に駆け込まんに子細はあらず。」と、武綱聞きて、げに、御ふんの勇力さぞあらん。表堀・逆茂木ばかりにて、陸地に続く平堀なり。是れより総攻め然るべし。敵駒を並べて駈け出なばあいかかりに突き崩し、魚鱗にかからば簑手に開き捕らえてかからば、請け流し二つもなく三ツもなく只一つト揉みの勝負なるべし。あら面白し面白し。さらば着到相印さん。先ず筑紫の侍、鬼田唐橋・山田落合い。原田の一統豊後前岡田の一門惟澄・別木山澄・菊池の兵衛。周防の国には、三科河竹・屋栗の小次郎・安芸の国には冨多柴村・芦名の源太・備後の国には香具師王の道三・原の入道・備中の国には瀬川・福山。備前小嶋。播磨に赤松。大和の国には竜田菊川・三輪の三郎・浮洲の小太郎。鵜野の一門熊野湛海・奥見の保契・新宮・本宮・田辺の別当。津の国河内泉山城。都勢近江の国には堅田唐崎・鏡の小次郎・山本柏木・三上山。美濃の国には樽井醒貝・上村・下村・不破の長はん・園田の十郎。抑も坂東には伊豆に霜田・三島の判官・白田の伊奈取・河津の入道。相模に真奈名鶴・海老名・中原・大場愛敬・和田。鎌倉武蔵の国には笠居・猪俣・湯嶋・平治・横山など、平山こたんの同心の同志。遠海国安崎。其の勢五万三千余騎と相記す。
 源氏の勢如何成る天魔疫神も、面てに向かふべきやうぞなし。彼の頼義のご威勢末頼もしくとも、なかなか申すばかりはなかりけり。


此書何方へ参り候共
御読み相済み候はば、早速御かへし可被下遍し。字のあやまり御めん。
関 幸右衛門 持用
鬼甲山軍記 下巻
鬼甲山合戦下之巻
一.金衡抜駆安廣が四天王を討つ事
 去る程に、此度の逆心落浜の入道大輪、夫れに替わる徒の者ども召し集め、軍評定取らる也。然る所へ白髪たる老女が忽然と現れ、両眼朝日の如く輝き、「危ういかな、危ういかな 草木国土の筋違わず荒けれども、我れは是の山を守る人の白女たり。我れ所の地を領めて八百年、汝王意を背く恐ろしさに当山を開くなり。」と、大輪見て、゜「己れは戦場の先を枯らす曲者。」と、打てばひらりと霧雲の車うち乗り、辰巳方へと飛びにける。不思議なりける次第也。されども貪欲無道の者ともにて、それにもさらに動転せず。安廣申しけるは「源氏の軍立てをば我よっく存じ候ふ。」と、我慢放逸者にて、人を人とも思わず、一分のはたらきを先々好み候ふ間、まず道の詰まり詰まりに伏せ勢を置き、抜け駆けの輩を討ち取り候はん手立て宜しく致し候ふ。」と言ふ。大林ききて、「尤も、其の儀然るべし。唯屈強の輩ばかり選り出すにしくあらず。」と、先ず一の間伏せには、頓空源内廣元・里嶋七郎・吉晴。抑又二の手には大林が四天王二人・是れは先年、屋羽瀬の合戦に武綱に討ち漏らされし残る所の二人なり。星崎善八盛秀・村竹大蔵時森とぞ定まりける。各々支度致しけるが、是は抑置源氏の方にも軍の評議聞く也。頼義仰せけるは、「抑も、人馬足を休め、草飼ひ致し、明日の合戦可致す方々。」有りければ、武綱承り、「さん候ふ。長々の道疲れ候。人馬今日物の役にも立ち申すまじ。その上敵ははやり切りたる勢い、源氏の方時を移さず取り掛ける。」と、道筋に勢を伏せ、又城内にも用心し、今や今やと気を砕かせ疲れたる所へ、明日とりかからん。たちまち勝利を得申さん。この儀如何あらん。」申しければ、金平聞くもあへず、「又渡部、しめり分別出されたり。道の百里や二百里討ったるとて何の疲れ申さん。望みならば是れより直ちに唐土迄も渡り見せ申さん。左様にては、議事を軍勢に聞かするもの哉。役に立たざる奴ばらをば、堀の底に踏み込んで橋となして通られよ。」と、歯を噛みなしてぞ申しける。渡部聞きて、「されば、都より是れ迄は日本半分の道程り、昼夜討ったる事なれば、人馬疲れて有るべきに、御ぶんは疲れぬ迚、左様に横紙を破るやう成る事や有らん。只明日の合戦こそ然るべし。」と申し上げる。」と、武綱聞こし召して、「我々もその儀に服する所也。何れも休まるべし。」と、奥をさして入り給ふ。武綱を始め人々も奥へ入らんとせし所、金平・武綱が袂をむんずと取り、「御へん、某が横紙を破りたるを確かに見給ひてぞ有りけるが、何国にて破り申したり。承はらん。」と、詰め寄れば、渡部ニッコリうち笑ひ、「をこと、斯様に悠々とは致されば、大事の軍抱えて心さらに隙もなし。合戦終わりて後、横紙の由来語り聞かせ申さん。難しい噺述べ。」と、振り切りて逃げ入りにける。金平すべき様なくして、「よしよし、人はともあれ、斯くあもれ。此の金平に於ては、宝の山敵を目前にさし置き明日迄待たん事、中々思ひも寄らず。抜け駆けするにしくはなし。さり乍ら渡部留むるは事情也。時を延ばさじ討ち立て思ひの侭に軍をせん。」と、踊り上がりて、勇みをなす。陣所をさしてぞ入りにける。
 爰に相模の住人三浦の平太夫が一子和田左衛門為宗とて年積もりて十四歳、武勇勝れて其の形ち悠々として、恰も三日月の如し。九歳の年より武勇の道に心がけ打ち物取っての名人也。彼れは先年相州みませの合戦に、華やかなる先駆けは武将頼義公の御感に入る。武綱・金平が添ひ感迄賜はって命運州に揚げし切りの者。今日、父の平太夫が名代として三浦の平蔵為祐伴い下向有り。為宗思ひけるは、「此の度は四天王一人武者を始め、源氏の勇士数を尽くし、諸国の侍雲霞の如くにて、明日の合戦には我々ごときに先駆け候ふまじ。今宵の内に抜け駆けし、運を天理に任せんと思ふ。如何に。」と、有れば、「我もその義欲する所也。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり。早打ったてん。」下人壱人相供して忍んで陣所を出にけり。敵陣さしてぞ行きにける。駒を速めて討つ程に、獅子取り塚にもほど近く、弓手めてに心を配り歩ますところに、一の馬伏しを固めたる頓こう星崎諏訪、抜け駆け有り。」と、二人供に弓を張り引き絞って放つ。矢一ト筋平蔵が乗りたる馬の太腹をい切り、虚空知れずに流れ行く。一ト筋は為宗が鎧の上衣を射切り、後ろの古木に矢ふるひして立ちにけり。無残や為祐馬を屏風返しに返されければ、主も馬より飛び降り、引き起こさんとするを、平蔵見て、「手負ひたる躰にてや、敵に二の矢を射さするな。心得候ふ。」と小楯に取りて臥しにける。二人の者ども「死にましたる」とを取らんと近付けば、がっぱと起きて切ってかかる。敵驚き渡り合い鶴翼に陣を張り、火花を散らして戦ひける。太刀音天に響かし、爰を先途と励みしが、平蔵何とかしたりけん。頓剛が太刀請けはずし、二ツに成りて倒れける。弐人の敵一緒に成り引き包み討たんとすれば、ひらりとはづし、続いて討つぞ、中に飛び組まんとすれば、切り払ひ、踊り越え飛び越え、只ちう頓堀の如く也。さしもの頓剛里嶋も呆れ果ててぞ立ちにける。「何の小賢しき小冠者壱人」と、頓剛里嶋いらって討ちてかかるを、為宗さらりと請け流し、裾を払へば返す太刀にて、首は中にぞ撃ち落とす。里嶋見て、「こわ、死なしたり。残念。」と、打ちてかかるをさらりと受け返す太刀にて眉間二つに割下げたり。下人を招き寄せ、「為祐討ち死にし、我は命限りこん限り、陣所へ還り入らん。汝は帰って、武綱・金平に、「斯くと申せよ。」と言ひ捨て敵陣へと切手入る。二のまふしを堅めたる谷熊法尚、是れを見て、家の子郎等澤並十郎を近付き、「すわ、敵こぞ見へる。」と、十郎見て、「警護成る若者にて候ふ。彼をば我受取り候ふ。」と、走りかかって、只一打ちと討つを、飛び違へ首宙に打つ音す。谷熊見て、「かやつは、よっ程健気なる者也。」と、棒をつ取り、延べ討ちてかかる。為宗「てう。」と、受け流し、二打ち三打ち打ち合ひしが、大力の谷熊にたゝきたてられ、持つたる太刀を撃ち落とされ、差し添へ抜かんとするところ、「はッ。」と寄り打ち倒し、鎧の上帯引きち切り、高手こてにいましめ側なる古木に縛りつけ、「さだめて源氏の勢駆け来るべし。汝、それにて誰れと言う事を教えよ。」と、「四天王ならば、遠う矢にて射落とす。強武者ならば五十も三拾も生け捕りにせん。真っ直に申すに於ては、汝が命助くるぞ。」と、申す所へ揉みに揉んでぞ馳せ来たり。谷熊見て、「四天王と覚えたり。」と、取らんとするを為宗聞きて、「あれは四天王にては候らはず。鵜野の一統にて候ふ。」と言ふ。「さらば、打ち伏せ召し捕らん。棒おひ取り延べ、拝み打ちに討ちかからんを金平ひらりと外して、受けつ外しつ戦ひしが、さしもの棒真ん中より切り討たれける。
 谷熊無念に思ひ手取りにせんと押し並べて、むんずと組おい伏せんとすれば、金平、「こは、やさしき御坊かな。」と、嘲笑って立ちたりける。谷熊金剛力を出し、捻れどもはたらかせず、「汝は端武者と覚えしにあんの外成る。何者ぞ。我は落浜が家の勇士谷熊法尚鉄山なり。」と、「何、鉄山とや。銕の山そこぞ、御坊の頭堅からん。我は坂田の金平也。」と、真っ逆さまに打ち倒し、首フッツと捻じ切り、為宗がいましめを解きほどき、「御身は健気者。」あおぎ立ち、塵うち払ひ、「道にて下人に会い、敵陣へ駈け入りたると聞き、さだめて討たれ候はん。志有る若き者。天晴れ惜ししと思いしに、安穏成りし殊勝さよ。是れより後ろに冨士の山を持ちたると思ひ、先陣を駈けよ。恐げなし。」「日本無双の金平の諫言、為宗今生の面目。」と、悦び勇んで進みける。三の馬伏せを堅めたる星崎善八が家の子矢切りの余市、是れを見て、「小賢しき童の先駆け召し捕り参上仕らん。」と飛んでかかるを切り払ひ、すかさず首を打ちにける。「星崎見てや、悪漢じゃ。痴れ者也。」討ちてかかる。金平見て、「童とは大人げなし。さだめて安廣が四天王成らん。四天王の争ひ爰也。太刀迄は面倒也。」と、押し並べてむんずと組む。
 星崎も「大力金平なればとて、何程の事かあらん。手並みの程を見せん。」と、飛びかかり投げんとす。金平見て、「やさしき敵の振舞ひや。手並みとはかやうの者ぞ。」と、弓手返しに打ち倒し、首をかかんとするところへ、大蔵走り来りて、二人ともに、重ね打ちにと、太刀振り上げ、切ってかかるを為宗飛び抜け、てう、と打てば、村井手足絡みの小冠者や。」と、引き組追い伏せ、既に危ふく見へゆるところへ、金平、星崎が首を捻じ切ってやがて村井大蔵が太刀ぶさを取って引き返す。首宙に打ち落とす。為宗引立て、「抑は、御身は健気者。御家の末の宝たるべし。幸せたりや。幸せたりや。」と、扇を仰ぎて悦びける。
金平心底潔しとも中々申すばかりはなかりける。

一.鬼甲山大合戦四天王手柄の事
 去る程に鬼甲山に立て籠る伏せ勢、思いの外に支援して城より出る者ども残り少ななに討たれけり。
 大林も安廣も力失い如何せんと、心を砕きをる処へ陸奥の金沢入道有り。討っての為に谷熊善道森久・同悪次郎国森・大将金沢を始め四百三拾六首長印して馳せかへり、落濱が披見に入る。大林見て「面々は印かへ目出度く候ら得ども、抑かたがたの父鉄山は、都より向かふ源氏防がんとて謀り事をせしめ、坂田の公平に討たれたり、兄弟聞くもあへず「何れの親にて候ふ。鉄山は公平に討たれ候ふと成しなしたり世の中かな。如何に鉄山年寄りたりとて、未だ小兵の若者に手弱く討たれぬるこそ浅ましけれ。其れ、坂田めが攀獪がいきをいをなすとも、何程の事が有るべし。首捻じ切って父の供養にせん。名にし負ふたる公平が首ひつさげ参り申さん。」と、にじり出るを大林押しとどめ、「方々が勇力にては天魔疫神も子細あらじと言いながら、不慮の過ち有るもやせん。されば、是れ我れ此の乱を企てしも、おこと兄弟を太刀・鉾と頼みに思ひたちたる逆心也。そざつに早まる事なかれ。平に平に。」と制すれば、さすがにはやる兄弟も怒りを押さへ、寄せ来たる源氏を今や遅しと待ちゐたり。あへもすかさず源氏の勢、鬨の声をぞあげにける。
 鬨の声だにしずまれば、城の内より萌黄威しを着たる武者ただ一騎立ち出て、敵を待ちてぞ控えける。公平しづしづと詰めかくる。彼の武者これを見るよりはやく、「御身は坂田の公平なり。望むところの相手也。日本無双の坂田殿にはとても及ぶべきにはあらねども、我れは市川源蔵家行と申す者也。存ずる子細有る間、最期の段、渡辺の武綱にかたって賜べ」とて、討ってかかる。公平見て、「をことは聞き及びたる市川かとかゑ。」と、ふりきって逃げにける。
 市川見て「いかに公平、御ぶん(自分)相手を嫌い給ふがなさけななし。返し給へ。」と呼ばはれば、「公平、いやとにをことを嫌うにあらねども、をことの事は武綱物語にて承り及びたり。源氏方より一人も手を差ものは有るまじき。」とて、味方の陣へぞ入りにける。
 渡辺、是れを見て飛ぶが如くに駆け来たり。「久しき候ふ。市川殿。御ぶんの心底君へも朋輩にも語り置ければ、頼義深く感じ給ひ一目会わんとの仰せ也。何か苦しゅう候ふべき。侍は渡り者、いざ此方へ。」と、申せば、市川聞いて、「こは武綱の言葉とも覚えず、われ賢人にはあらねども、二君に仕えへ名はくださじ。御身よしみのほど思われなば、我れ降参せんと申すより討ち死にせると進み給はんこそ、真実の心ざし也。二君ながらへ悪人の安廣に一時も仕へんこと心よく、今日を限りと思ひ定むれば、雑兵の手にやかからんと心得なく存じ候ふに、御目にかかる嬉しさよ。御坊には打ち給べ。」と、腹を切らんとするを、渡部走り寄り太刀刀奪い取むていに引き立て味方の陣へ帰りける。
 さればとて、我も義理を逃れ、敵の所を逃れ、御へんも背いて生き給へ。市川、このうえは力なし。ともかくもと、堀の端につつと立ち、義は一命よりも重し、生きて名を流さんより死して魚の餌食とならん。未来にて報ぜん。」と、武綱と堀に飛び込みて底のみくずと成りにける。渡部、「こはいかに日本広しといえども、かかる義者はまたと二人はあるまい。」と感じ入り、そも恥ずかしいの心底也。「何れの世にかは巡り会い心の恩を報ぜんと。」と、泪と共に陣所をさして入りにける。
 斯くて、時刻うつれば公平、「是れほどの小戦場に何時まで手間を取るべきか。ただ、一時に揉み潰し申さん。」と、駆け寄らんとするを、武綱おしとどめ、「最前も相述ぶる如く、此度は侮りかたき名城也。尤も一命を捨てて待たんばかり多し。如何にも味方をば出さず敵を滅ぼすこそ、名将領主の法也。ひらにひらに。」と、制すれば、公平聞くもあへず、「やあ、渡部、おことは我がためには如何なる宿世の敵ぞや。我がなす事一つとして妨げずといふ事なし。此度に於ては御へんが下知に任せぬなり。爰をはなせ。」とふり切りて駆け出るを、渡部なおも引き留める。「おとなげなし、公平いまに我れとおどり出て、をのれと滅びん宝の山の敵をかゝへ、味方をそざつ法やなし。ひらにひらに。」と制すれば、兵庫の頭是れを聞き、如何に武綱味方をば、一人も連れ申さず、人を頼みに軍致せし覚えなし。御へんは一年も二年も待ちて緩るゆると軍し給へ。此公平は一時の内に城内の奴ばらを落花微塵に討ち散らし、逆心の大将落濱が首捻切り、君を早速都へ帰し奉らん。御へんはいつ迄も待ち給へ。」と、飛び出るを渡部無体に引き留め、「我れ御ぶんの存念には組すまじ。是々離すな若者ども。」と大勢右左に立ちふさがりとどめける。その隙に渡部陣所をまわり諸軍勢に下知をなす。城の者ども一度に討って出る。敵味方入り乱れ魚鱗鶴翼に陣を張り、火花を散らして戦いける。
 軍半ばの事なるに、寄せ手の陣より主はたれとも知らねども、赤地の錦の直垂れに敷き皮の鎧を着、龍頭の甲の緒をしめて、雲に鳳凰のそふの小手、白檀みがきの臑あて、熊の皮のもみ足袋白金にてへり金わたしたる靴中に踏んこみ、黄金作りの太刀を佩き、連戦葦毛逞しく金覆輪の鞍をかけ、綾の八つ房、らっこの鞦、豹の皮の泥障をかけ、我が身かろげにゆらりとうち乗り、しづしづと乗り出し、「抑、爰元に進み出でたる某をばいか成る者と思うらん。源氏の嫡孫伊予の守頼義なり。如何に安廣、此度の合戦は御ぶんと某があいに有る。勝つと負けると一人身にして勝負を決せん。如何にいかに。」と呼ばはれば、安廣聞いて、「望むところの相手也。さすが源氏の大将ほど有りけるかな。近江の守安廣也。」寄り組まんと言ふ侭になし、並びてむんずと組む。安廣聞こうる大力也。鎧の上帯引き締め、打ち倒さんとしけれども、磐石の如くにて少しもはたらかせず。安廣あんに相違して、「抑、御ぶんな、聞き及びぬ大力也。」と、金剛力を出し、゛えいやえいや゛と捻合わせける。
 半時ばかりも揉ませける。安廣が上帯引き締め、弓手へどふと蹴倒し、着たる甲を引っはづし、「いかに安廣、我れを真の頼義と思ふかや。我れこそは播磨の守平井の清氏也。天下の名将たる人が、御へんがやうなる悪人と組打ちなどをなすものか。日頃聞き慣れたる声だにも、聞き違いにとらるる事も帝の御罰ぞや。急ぎ大将の御目にかけん。」と、鎧の上帯引きちぎり高手小手にいましめ、味方の陣へ引き立てしは憎まぬ者こそなかりけり。それ大将の御目にかければ、頼義御覧じて、「前代未聞の悪人也。」とて、傍らに引き据へ首を刎ねける。
 爰に又駿河の守卜部の末宗つつと立ち出て、「我れこそは卜部の末宗なり。城中の軍兵、我れと思ふ有らば、かかれやかかれ。」と、大音声をあげて呼ばはりける。
 時に谷熊善道森久黒革威しの鎧を着て、四尺余りの太刀を引提げ、「谷熊、是れに有り。」と、一文字に切ってかかれば、末宗太刀抜き合わせ切りまくりつ。火花を散らして戦いける。されども、両方名誉の太刀打ちにて、更に勝負はなかりける。両方互いに目を見合わせ、「いつ迄も時をば延ばさんよりは組まん。」と、持ちたる太刀からりと捨て引っ組みける。谷熊も大力にて押し返せば、押し戻り爰を大事と励みける。谷熊いらんてかさにかかり、押しひしがんと力にまかせて押しけるを、末宗しっかと保ち隙間を伺いはねければ、おのが力に呑まれつつ、ゆんてへどうと倒れるるを、すかさず首を掻き落としつつ立ち上り、「日頃鬼神の如く聞きたる谷熊善道をば、駿河の守末宗討ち取りたり。」と、高らかに名乗りける。
 弟悪次郎大の鉞打ちふりうちふり、「いかに寄せ手の陣中に、公平に見参や。」と、呼はれば、定兼つつと出て、「やあー御ぶんの力や太刀のかねにては、公平などが身には立つきじ、身負傷ながらそっと見参。」と、呼ばはれば、悪次郎腹を立て推算也。「をのれは何者ぞ。うち笑い、「腹は立たせ給ふなよ。我れこそ遠江の守薄諏訪の定兼なり。」国森聞きて、「抑は、四天王の内かと走りかかって、鉞を追い取りのべ、てうと打つをひらり飛び、さしもの鉞むんずと取る。国森こそ「無念や」と引けけれども、離さずこそ、両方戦いに「えんやえんや」と引く程に、真ん中よりもぼっきと折れにける。国森差し添えを抜かんとするを、定兼打つたる鉞おっ取り延べ、国森が眉間を二つに切り割ける。
 今ははや、城の内には大将落濱大林ばかり残りける。
 落濱が一騎当千と頼みし郎等を選びおきし、源内を近付け、「軍は今は是れまでなり。公平・武綱と組むべし。若しもや、組負け候はば、身を惜しまず二人ともに、重ね打ちに打つべし。構えてかまへて約束たごうべからず。」と、申し聞かせ、やがて討って出る。「いかに、寄せ手の方々、我れは落濱の入道大林也。公平に見参。」と呼はわれば、兵庫の頭小躍りして、飛んで出る。「其の日高名あらざれば、こは天のあたい。」と、走りかかりて、むんずと組みける大林もとより聞こふる大力なれば、さしもの公平もてあつかい、「やあー、汝は痴れ者や。」と、刎ねけれども、大林絡み付き驚かず。公平見て、「我れに、是れまで骨を折らする者、日本には覚えなし。御へん聞きしに勝る力也。去りながら、此の公平が一度手に取りし敵ならば、縦へ須弥山の四天王にても、あらばあれ、軍の時は延ばさん。」と、金剛力を出し、「えいやえいや。」刎ねければ、さしもの大林朽木の倒るゝごとくにて、後ろへ;どう;と倒れける。選り武者源内「爰や。」と、馳せ寄りて重ね討ちにと太刀ふりあげけを、武綱後ろより源内が左右の腕をしっかと取り押さえて、首を切り落とす。
 其の隙に公平は大林殿が首を捻ぢ切って立ち上り、首引っ提げて大将の御目にかければ、頼義限りなく悦び給ひ、勝鬨を三度上げ、都をさして凱旋あり。都になれば、門にかど棟を立て並べ、千秋万歳目出度しともなかなか申すばかりはなかりけり。

鬼兜山合戦記

文字のアヤマリゴメン候へ。
 のちの世のかたみともなれ。
筆あと字のあやまりきをつけべし。
小菅村
関 王吉持用

六十二枚ヲワリ。
軍記内容は、羽列鬼兜山合戦記に同じ。
  関氏 三五郎
二男 五吉用五拾二枚




あらきそば−紅花資料館案内図