にしかたの昔語り
長瀞猪子踊
−にしかたに春を呼ぶ猪子−
東根市長瀞地区で毎春行われている猪子踊を紹介します。東根市は「ひがしかた」の地域ですが、北村山地方に春を告げる獅子踊なので本ページにて紹介させていただきます。毎年4月日枝神社例祭日に近い日曜日に長瀞地区内で舞われています。山形県内最多の11頭の獅子踊だったのですが、現在は5〜7頭立てのようです。昔は山形妙見寺に12頭獅子があったそうですが、残念ながら今は見ることができません。
曲目は道踊、橋始舞、入庭、地や踏、歌切、狂い、後の狂い、後の歌切、たてもの、暇乞、帰り道踊り。
構成は猪子11頭、ササラ2人、カネブチ4人、太鼓1人、笛方6人となっております。
由来
長瀞猪子踊りの由来は以下のように伝えられています。
長瀞猪子おどりの由来は、長瀞創始以来のものでありまして、その昔名僧慈覚大師様が山寺山をお開きになられた時、偶然にも山鹿の先導を得て山上に登られ、当時村山地方が一大濁水であるのを御覧になり、思うよう、碁点山を切り開けば必ず拡大な土地が出来ること、とお考えになられ、人夫を督励して開さく工事を施しましたところ、全く一大耕地が出現し、長瀞は湖水中最も泥土深い所であったことから長瀞の名を付けられたといわれております。
此の肥沃な長瀞の耕地が出来たのも偏に慈覚大師様のお蔭によるものとして、大師様が先に山寺山をお開きになられるとき山鹿の先導にて山上に登られた事にちなんで猪子おどりを組織して、毎年七月七日山寺山に登り大師様にお礼に奉納したのが長瀞猪子おどりの初めといわれております。
長瀞長源寺の御本尊阿弥陀如来は慈覚大師の作であるところから、出発の時は長源寺で十念を受け、猪子頭に南無阿弥陀仏の名号をいただき、当時世話役であった奥山惣十郎氏宅でおどり初めをして出かけるのだそうです。
山寺立石寺では長瀞より奉納登山の連絡を受けると、同時世話方並に村の重達の方々が天童の大橋まで出て出迎えの式を行い先払を附けて道おどりの行列で登山、山寺村内沿道の民家では表に香を焚いて道を清め歓迎の意をあらわされたといわれております。
−長瀞猪子おどり保存会の由来記より−
参考文献 「山形県の獅子舞」 佐藤源治 獅子玩具館 1982年
平成20年から奉納当日の午前中、地区内の長源寺にて精(しん)入れの儀式を行い、地区内で舞った後で午後2時ごろから日枝神社で奉納することになったそうです。山の神の象徴である猪子の精霊を頭にお招きしてから舞う、ということはとても理に適ったことだと思います。精抜きはどこでするのかな?ということが気になりましたが。村山市の五鹿子の項で述べましたが、猪子踊の原点が先祖供養と豊作を祈る祭礼であったとすると、長源寺で憑依した先祖の霊が日枝神社で神になり、水晶山あるいは葉山に−日枝神社の位置からすると葉山ではないかと思うのですが−帰っていく、という流れになるのではないかと思います。
平成18年の猪子頭には「日枝神社祭典」の文字が記されていましたが、現在の猪子頭には「南無阿弥陀仏」の金の御札が立てられています。