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にしかたの昔語り

富並上中原奈良朝鹿の子舞
−白面の鹿子−
(右写真はホームページ「山形のシシ踊り」から)



 富並上中原奈良朝鹿の子舞はなんといっても鹿子の頭が白いという点が特徴です。ジャングル大帝のレオのような真っ白い鹿子なのだろうか、等といろいろなイメージを想像していたのですが、最近ようやく「山形のシシ踊り」というホームページでビデオを見ることができました。頭がまっ白、というよりは顔が真っ白な鹿子でした。最後に踊られたのが昭和55年と聞いていたのですが、ビデオで見る限りもっと最近のように見えます。長島鹿子踊同様、ぜひ機会があればぜひ自分の目でその優雅な舞を見てみたいと思います。
 文献によれば牡の頭には太陽、牝の頭には三日月、添鹿子の頭には菱形がつけられています。腰には御幣を差し、5頭で舞い、鐘打ち1、ささら3、笛方、唄方、太鼓1からなります。舞は平城京と平安京に遷都が行われた当時、時の元明天皇、桓武天皇を鹿たちが都までお送りした様子を写したものといわれています。生前父は、「あの鹿子踊は他の鹿子踊とは違うのだ。あれは(山寺ではなく)葉山に対して奉納する踊なのだ。」といっていました。だとすればにしかたに住む者にとって最も身近な鹿子踊ともいえます。
 富並上中原鹿の子踊は、その縁起をも古く白獅子で、太陽と三日月紋・マサカリでなく御幣を持ち、山寺参詣をしません。奈良調大和生駒獅子踊の流れをくむ舞で、縁起によれば桓武天皇を伝える鹿の子舞いは長島と大江町深沢とここ上中原だけに伝わるものです。決して華美な踊ではありませんが、葉山修験の富並I氏の関係の獅子で葉山作神と太陽信仰を伝える県内でもまれな伝統農民芸能文化です。